ローマ人の物語11「終わりの始まり」

21世紀の世界を見渡しても1世紀のローマ帝国ほど住みやすい国はないだろう。何があっても国民が飢えることはなく社会保証が充実している。通商は自由でさかん。常に政治に民意が反映されている。庶民も貴族もがんばればむくわれるからみんながんばる。汚職は告発される。治安はよく安全保証も磐石。出身地や民族で差別されることはないし、信教の自由もある。上流階級は国のことを第一に考えるし、トップは100年先を見てる。

もちろん、これはいい所ばかり見てるわけで、文句のつけようがないわけではない。例えば、階層間の流動性はあるとしても階層は厳然とある。貴族の子は貴族で奴隷の子は奴隷。議員や上級官僚になれるのは貴族だけ。でも、貴族でなくても貴族になれる仕組とか暗黙に庶民の意向を調査する手段が確保されている。欠陥があってもそれを補償する仕組があってそれがちゃんと機能している。

全てにおいてこういうことが言えて、言わばオール5ではないけどオール4の優等生という感じだ。これがローマ人の絶妙のバランス感覚で、何かの科目で5を取ろうとすれば、他で1がつく。例えば、ギリシャの民主政治はもっと徹底していたが、政治の安定性がなくてすぐ崩壊した。逆にカルタゴは一時期軍事力でローマを追いつめたが、それを長期的に活用することができなかった。人材の不足と政治制度の未熟さのためだ。大国家の運営は1がついた項目から崩壊していくものだから、何よりバランスが大事なのだ。ローマ人はそこがわかっていたのだろう。

11巻は、このローマのバランス感覚が少しづつ狂いはじめる段階の話だ。やはりさすがローマで「なんとかという馬鹿な皇帝がいて酒池肉林をやってクーデターが起きました」などというわかりやすい話にはならない。あいかわらず、皇帝はちゃんと先を見て手をうつし、軍隊や官僚組織もまだ腐ってなくてシステムとして機能している。国境線は守っているし、庶民の暮らしも悪くない。内乱が起きても収拾できる。でもどこかが、それまでのローマと違っている。

著者は、「歴史は細部に宿る」と言っていたが、確かにこれまでの10巻を読んでからこれを読まないと、この狂いが感じられないかもしれない。世の中にはディテールと物量でしか描写できないものがある。そして、この本にはディテールと物量でしか描写できないものがしっかり書かれている。