個人投資家のような神様へ

CEOが「俺の会社だからどうしようが俺の勝手だ!」と言うのと、株主が同じことを言うのでは、似ているようだが実は随分違う。人をやとったりクビにしたり、社屋を売っぱらったり、新事業に進出したりすることはCEOは自由にできる。だけど、CEOのこういう権限は、会社のリソースを活用する責任と引きかえに、ある期間だけ株主から委任されているもので、範囲は限られている。例えば、CEOには会社をつぶす権利はない。

人が自分の人生に対して持つ権限は、CEOと株主のどっちに近いだろうか?「俺の人生だからどうしようと俺の勝手だ!」と思う奴が多いだろうが、そして、それは確かにそうなんだろうけど、この「勝手」は株主でなくCEOのレベルだと思っていた方がいいと思う。与えられたリソースを活用するためには何をしてもよいが、リソースを無駄遣いしたり勝手に清算してしまったりすると株主から怒られるから注意した方がいい。

経営者の評価は、単なる業績の絶対値でなく、与えられたリソースに対してのパフォーマンスであって、人の生き方を評価するのも同じだと思う。少ないリソースでもちゃんと活用すれば、そのCEOは偉いのだ。

それで、CEOが責任を負うべき相手のその「株主」ってのは誰なんだ?と言うと、それが神様なんだろう。神様は個人投資家のようにあちこちに遍在していて、正体がないようで総体としては実体がある。これを読んでくれるあなたの中にも、個人投資家のような神様がいるので、俺は四半期ごとの業績報告のようなつもりでこれを書いているのだ。