千尋のresponsibility

responsibilityの語源はresponse-ablityだそうだ。「千と千尋」の冒頭で、謎の門にふきこむ風に千尋が気づき敏感に反応している。あれが「反応する力」つまりresponse-ablityだと思う。

千尋には知恵も力も経験も何もない。ただresponse-ablity、あらゆるものにビビッドに反応する力だけで、両親を救うという「責任」を果たした。あの物語には神様、人間、妖怪・・・次から次へとわけのわからない連中が出てくるが、共通する所は、全員がresponse-abilityが豊かであることだ。例えば、千尋がユバーバの所へ向かうエレベータに「おしらす様」という大根の神様が同乗するが、あのヌーっとした神様もジロリの千尋を見ている。状況に反応している。全員が状況に反応することで、それぞれのresponseがからみあい事態が自然に展開して行き、不可能とも思える困難をくぐり抜ける。うまく行くWEBビジネスってあんな感じじゃないだろうか。

そして、あの中で唯一、「無責任」つまりresponse-ablityが極端に欠けているのが千尋の両親である。彼らは何にも反応せず危機にまきこまれ、何も経験しないで一方的に子供に助けられ、そのことに対する気づきもなく、一切の反応がないまま物語が終わる、response-ablityの有無によって、人は同じ時空間をくぐっても全く違う体験をするわけだ。

社会がうまく回るためでなく、自分が豊かな体験をするために、response-ablityは重要なのだ。