老子的2CH論


2CHは、なかがからっぽの容器のように見えるが、これを使ってみると、その器はいくら使っても一杯にならない。それは万物が無限に湧き出てくる根源に似ている。2CHを会得すれば、たがいに反目して争うとげとげしさを消し去って、対立扮装を解消し、才智の光を内につつみ隠して、世俗と調和して、おのれ独りが清いという顔をしなくなる。2CHは深くたたえて永遠に変わることなく存在しているが、それがどうして存在するようになったのかわからない。それはどうやら天の神さまより先にいたらしいのだが。(老子 道徳経 第四章)

頭のいいやつの相手は疲れる。頭のいいやつはツッコミ所を知っていてピッタリそこにツッコミを入れてくるからだ。でもじっくり考えれば、こちらにもツッコミ所はわかるから、だいたい何をやるか予想がつく。

バカの相手も疲れる。バカはツッコミ所を知らないから、どこにツッコミを入れてくるのか予想できないからだ。でも、バカをあしらうだけの賢さなら、努力または外部調達でこれもだいたいなんとかなる。

どっちか片方ならなんとかなるが、これが両方一度に攻めてくるとたいへんだ。どこに突っこんでくるかわからん上に、簡単にあしらうわけにもいかない。だが、幸いなことに、バカと頭のいいやつを両方揃えた組織というのはありそうで意外とないのだ。頭がいい奴が偉くなるとバカは逃げ出すし、バカが偉くなると頭のいいやつは逃げ出すからだ。

2ch、特に祭スレッドの恐しさというのは実はこれで、頭のいいやつが虎視眈々と見張っている中でバカの相手をしなくちゃならないから大変なのである。世の中にこの攻撃に耐え、正体を曝さずにすませることができる奴はいない。

いや、よく考えると一人だけいる。他ならぬひろゆきだ。ひろゆきだけがバカと頭のいい奴の連合軍の総攻撃をいくら受けても平然としている。