「あの○○が一撃でやられてしまうとは!…」

というセリフでしか、相手の強さを表現できなくなってからマンガが堕落しはじめた。また、主人公の成長を表わすのに、Aが主人公を倒し、BがAを倒し、修行した主人公がそのBを倒すパターンにすぐ頼るのもいただけない。

俺の知ってる限りでは、カーロス・リベラホセ・メンドーサにやられたのが最初ではないかと思うが、「あしたのジョー」の場合は、トリプルクロスにせよコークスクリューパンチにせよ、絵を見てるだけで痛くなってくる。そのようなていねいな描写があってこそ「あのカーロスが…」が生きてくるのだ。

これはマンガがどうこうという問題ではなくて、このために「強さ」というものが相対的にしか語られなくなっており、あらゆる価値がそのように扱われていることが問題なのだ。

ゲド戦記には、こういうものとは全く別の「強さ」と「成長」が描かれている。これが面白いことは随分前から知っていたのだが、長年の間探してもどの本屋にもなかった「あの『ゲド戦記』」を俺はとうとう読んだのだ!