福島は安全だけど原発は危険
俺は高速道路のすぐ脇に住んでいて、もよりのコンビニは高速道路の反対側にある。だから、いつも高速道路を横断してコンビニに弁当を買いに行く。危険はあるが、俺は身体能力は高いし、いつも体を鍛えているので問題なく車の間を縫って渡ることができる。この間、たまたま靴の紐が切れてちょっとコケて車と接触してしまったが、かすり傷ですんだ。アスリートだからね。反対派の連中は、それを見て大騒ぎして「もう高速道路を横断するのはやめろ」とうるさいが、連中の言うことは嘘ばかりだ。
連中は、横断しなくても道のこっち側に別のコンビニがあると言うが、そのコンビニはかなり遠い。なのに、「こっちのコンビニの方が近い」と嘘を言う。
それに、車と接触したことで俺が重症を負ったと言いはる。俺は念の為に病院で精密検査を受けて、軽傷であることを確認した。連中はこれも嘘だと言って、「あいつは病院を買収した」と言いはる。
靴紐が切れたのは確かに計算違いだったが、これからは丈夫な靴を買うので問題はない。これからも、俺は高速道路を横断してコンビニに弁当を買いにいくつもりだ。
と、私には、原発を巡る状況はこういうふうに見えてしまいます。
この寓話の中で、推進派の「俺」の言うことには嘘や間違いはありません。反対派の方が根拠があいまいなことを言っています。だけど、だからと言って、「弁当を買うのに高速道路を横断する」というのはとんでもない間違いです。そう私は思います。
逆に言えば、高速道路横断の危険性を訴えるのに、「車と接触したら無事であるはずがない」と主張する必要はありません。
つまり、原子力発電の危険性と被災地域や東日本の汚染度、食品の安全性は分けて議論すべきだと思います。
また、現状の被害状況を見て、「最大の事故でもこれくらいなら、安全性を強化した上でそのリスクを取るのはやむをえないのではないか」と考えることも間違っています。最大の事故ではないし、まだ終わってません。
原子力発電の危険性を考えるのに、次の二つを分けて考えることが必要だと思います。
- 爆発する危険性
- 放射性物質は実験室の中でも無毒化できない
世の中に爆発する危険性のあるものはたくさんあって、人類はこれまで、あってはならない事故を何度も起こし、そのたびに、有害な物質が外に飛び出してしまいました。
もし、「爆発するリスクがゼロでなければその技術を使ってはいけない」と言ったら、人類の進歩はあり得なかったでしょう。
しかし、放射性物質が他の有害物質と本質的に違うのは、爆発する危険が高いことや、その被害が大きいことではなくて、「実験室の中でも無毒化できない」ことです。
「漏出したら現実的なコストで無毒化する手段がない」有害物質は他にも存在するでしょうが、その物質が実験室の中で試験管の中におさまっていれば、何らかの無毒化する手段はあるはずです。
そういうものに対して、ゼロリスクを求めるのは間違っていると私は思います。厳重に管理して何重もの防護措置を設けた上で慎重に使っていくのは当然ですが、もし万万が一あり得ないはずのことが起きてしまったら、世界中からオールスターを招いて、事態の収拾をはかればいいのです。
本当に困ってしまったら、人類の英知とリソースを集中して、実験室の中でやっていることを発展させて、対応すればいいのです。
福島第一でもそれをやるべきだと思う人も多いと思いますが、何をどうやっても放射性物質を無毒化できないことはわかりきっています。放射性物質を無毒化するには、原子核を壊さなければいけません。
他の有毒物質の害は、分子のレベルで起こっています。分子は地球上の環境ではいろいろな反応を起こすので、人類には手持ちのカードがたくさんあります。仮に今、方法が見つからないとしても、手持ちのカードの組合せで勝てる方法がないということは証明できません。
しかし、原子核を壊す話になると、人類の手持ちのカードは、原発、原爆、水爆、加速器しかなくて、どれも無毒化には使えないことがはっきりしています。(意図したように原子核を壊して組みかえることはできない)
だから、「実験室の中でも無毒化できない」物質を扱うにはゼロリスクを求めるべきで、つまり、爆発する危険をいくら低くしても、それを使うべきではない、と私は考えます。
いくら身体能力が高くても高速道路を横断すべきではないのと同じです。
寓話をもう少しだけ現実に近づけて改変すると、事故は収束してなくて、「彼」は、今、足を骨折して道路上に横たわっています。最初の接触で運良く軽傷だったのは本当だと思いますが、「彼」は道路の上から動けなくて、そこにはいつ次の車が来るのかわかりません。
つまり、使用済み核燃料に対して何もできないまま何十年も冷やし続けなくてはなりません。
再臨界を起こす確率はかなり低いと思いますが、プラントの状況がこれからどんどん悪化していく確率はかなり高いでしょう。ただ、仮に問題が起きたとしても、東電にできることが少ないことは理解すべきだと思います。中を見れないのは東電の怠慢ではなくて、中を見ないで対応していく以上間違いは避けられません。結果論で責めるのではなく、そこに原発の無理難題の本質があると考えるべきだと思います。
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