「みんな」の為のメディアは必要か?

新聞やテレビのようなマスメディアと、ブログやソーシャルブックマークのようなWeb上のメディアを比較する場合に、次の4つの観点を分けて考えるべきではないかと思う。

  • (1) 媒体が紙か電波かインターネット(IPネットワーク)か
  • (2) 記事を書くのがプロ(専門知識を持ち職業として書く人)かアマチュア
  • (3) 記事の選択や編集を機械が行なうか人間が行なうか
  • (4) 対象とする読者層が「みんな」なのか特定の関心領域なのか

新聞は、(1)紙を媒体として、(2)プロの記者が書き、(3)人間が編集して、(4)「みんな」に読ませることを前提としたメディアである。

はてなのトップページは、(1)ネットを媒体として、(2)アマチュアが書いた記事を主体に、(3)ブックマーク数を集計することにより機械が編集して、(4)「みんな」に読ませることを前提としたメディアである。

つまり、新聞とはてなのトップページを比較する場合には、(4)「みんな」に読ませるという領域の中で、次の3つの対立が同時に起こっていると考えるべきだと思う。

  • (1) 媒体が紙かIPネットワークか
  • (2) プロが書くかアマチュアが書くか(記事を書くことが職業として成立するシステムを含んでいるかどうか)
  • (3) 記事が投票によって機械的に選別されるか人間が編集するか

この4つの対立軸を同時に考えて、同時に議論すると混乱が生じる。比較する場合は、3つの軸について共通で、違いが一つだけになるような二つのメディアを比較した方がわかりやすいと思う。

たとえば、専門誌や論文誌のようなものは、次の特性を持つメディアである。

  • (2) プロ(訓練された専門家)が書き
  • (3) 編集者という人間が編集し
  • (4) 狭い関心領域を対象にした

これを載せる媒体として(1)紙がよいかIPがよいか、あるいは、紙からIPになることで何か本質的な変化が生じるかどうか。

そう考えると、ネットの出現は、この分野に関しては、単に媒体のコストが変化したというだけの話になる。

つまり、今まで紙で配っていた内容をそのままネットに載せて、会員制の有料のサイトや有料のメールマガジンとして運営すればいい。そうすれば、これまでよりずっと安いコストで同じ内容のメディアを存続できるはずである。

あるいは、新聞社のサイトと2ちゃんねるのニュース速報プラスを比較すると、両者には、次の共通点がある。

  • (1) 媒体としてネットを使っている
  • (2) プロの記者が記事を書いている
  • (4)「みんな」の関心事を扱っている

そして、違いは、(3)編集を人間が行なうか機械が行なうかという違いである。

ニュース速報プラスを主にニュース選別サイトとして利用していて、冒頭の記事本文だけを見て、残りのレスはあまり見ないという人も多い。

そういうニュー速プラスのユーザにとっては、プロの記者が職業として記事を書いているという要素は重要である。時々、ニュー速プラスでブログの記事からスレが立つと、「素人の記事でスレ立てるな!記者失格!」というようなクレームがつくことがある。

だから、ニュー速プラスと新聞の読者層には、そんなに違いがなくて、「新聞社の恣意的な(に見える)編集方針」とそれに対するフィードバックや意見の表明を許さないことが一番の不満の元なのだと思う。

このように、4つの評価軸のうち3つを固定して、一つを可変にすることで、よく見えてくる部分があると思う。

そして、この評価軸を詳細に見ていくと、重要なのは(4)の「みんな」の関心事という軸だ。

(1) 媒体が紙か電波かネットか、というのは、基本的にはコストの問題である。紙と電波に載っていたものは全部ネットに載り、ほとんどのケースでネットの方が安くなる。また、ネットはまだまだコストが下がる余地がある。

だから、単純な媒体としてのネットは、必然的に紙や電波の領域をかなり奪うことになる。それが必然であるし、それ自体には何も問題がない。

(2) 記事の書き手がプロかアマチュアかというのは、ビジネスモデルの問題である。ニーズがあるのにお金が回らないというのは、ビジネスモデルが整備されてないということになるだろう。これは、ビジネスのイノベーションを阻害する要因を取り除いていけば、やがて整備されていくものである。

(3) 編集が機械か人間かというのは、二者択一の問題ではなくて、実際にはほとんどのメディアの編集で機械による集計と人間の選択を両方組み合わせて運用されていると思う。

たとえば、検索エンジンにはグーグル八分があり、ソーシャルブックマークには大手ニュースサイト専用の別枠がある。ほとんどのサイトで最低限の人間による編集は行なわれている。逆に、ブログ的なニュースサイトは個人が自分の趣味だけで編集しているように見えるが、実際にはソーシャルブックマーク上位の記事があちこちで画一的に取り上げられたりしていて、機械に頼っている部分も多々ある。

つまり、こういうことが言える。

ネットの台頭で、「アマチュアが書き機械が編集するメディア」が「プロが書き人間が編集するメディア」を駆逐してしまうという懸念は間違っている。ネットは、この二点において多様性を許容するし、今後、ビジネスの問題として整備されていくことが期待できる。

プロの書き手とプロの編集者が消滅することはない。ただ、これまで独占できていた領域に、アマチュアの書き手と編集する機械、機械をうまく使う編集者という競争相手が出現したというだけだ。関心領域の性質によって、プロとアマチュア、機械と人間は、棲み分けしていくことになるだろう。

しかし、残ったもう一つの軸(4)「みんなの為のメディア」か「特定の関心領域の為のメディア」という軸は、そうはならない。「みんなの為のメディア」は、紙や電波の物理的な制約によって成立していたメディアであり、今後、縮小し消滅していく。

「みんなの為のメディア」とは、初対面の人と雑談するのに、まず天気の話をして次に何の話をするかと言えば、新聞の一面に出てた話題か、近頃評判のテレビ番組の話題か、というような、無条件に共有できることを期待できる話題を提供してくれるメディアということだ。

ひとむかし前は、中年男性同士なら昨日の巨人戦(関西では阪神戦)の話をしておけば間違いなくて、いきなり「きのうのホームランは凄かったねえ」と言って、相手が何の話かわからなければ、それは自分ではなくて相手がおかしい、というようなイメージ。

これについては、「みんなの為のメディア」がいくつも平和に共存するという結果はあり得ない。それがいくつもあったら、相手と無条件に共有できるという期待ができなくなる。

はてブのトップページは、やはりある関心領域を共有するある特定の集団の為のメディアだ。その範囲が多少広がっていくことはあるかもしれないが、「みんなの為のメディア」にはならない。

はてブのトップページに出てた話題を出して、相手が知らなかったらそれは知らない相手が悪い,ということにはならない。相手は、ニュー速プラスを見てるかもしれないし、newsingを見ているかもしれないし、tech.newziaを見てるかもしれないし、携帯サイトしか見ないのかもしれないし、紙の新聞しか読まないのかもしれない。

あるいは、みんながtwitterを見るようになったとしても、私のtwitterとあなたのtwitterは、常に違う内容を表示している。はてブだって、トップページでなく「お気に入り」等の機能を使いはじめるとそれぞれが別のメディアになっていく。

つまり、一見「みんな」の為のメディアであっても、紙と電波の時代とネットの時代では「みんな」の意味が違い、役割も相当違うということだ。

そもそも、こういう意味での「みんな」の為のメディアというのは、日本独特の現象ではないかと思う。

海外のニュースを見ると、それはやはり特定の関心領域の為のメディアに見える。ただ、対象とする層が広いのが総合ニュースメディアであって、時にそれは、日本で言う「みんな」より人数的には多いこともあるが、それでもやはり、メディアは、あくまで特定の関心領域を対象にしているものである。

ネットの中では、関心領域の広さの自由度は増す。狭いターゲットに絞っても十分成立するし、逆に、国の枠を越えた広い範囲を対象としたメディアもこれからは出てくると思う。

ただ、日本の大手新聞やテレビのキー局のような「みんな」の為のメディア、それを「みんな」が見ることが存在理由であるようなメディアは、生き残ることは難しいだろう。縮小することによって根本的な成立の基盤が無意味になってしまうからだ。


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