IT業界は業界の外へ向けて語る言葉を持つ気がない

@ITの記事は、発言の意図をねじまげて強調しているという指摘があった。確かにこのエントリを見ると、かなり印象が違う。id:next49さんの方が、パネラーの発言の真意をよく理解してまとめている気がする。

しかし、私は、このエントリを読んでますますIT業界に絶望的な気分になった。

多分西垣さんの言いたいことはそうではない。西垣さんが引用した言葉は「10年泥のように働き、次の10年で人材管理などを十分勉強してもらい、次の10年で学んだことを発揮してもらう」というような意味合いだった。言いたい言葉の意図は「業務を体に覚えさせ、体で覚えた業務をもとに人材管理を学び、そして、管理・運営を行える人材となる」ということだと思う。

これは、個人に対する心構えとしては、納得できる部分もある。

実際、私はほぼこの時間割通りに生きてきている。83年に就職して93年まではIT業界の中で「泥のように」働いて、93年頃から徐々に普通と違う仕事に移行していった。その過程でコンピュータのこともそれ以外のことも相当勉強した。そして、2003年頃からは本格的にブログで発信するようになった。「泥経験」の10年と次の10年の勉強が、その頃から、ブログ以外のことでも役に立ってるという感覚はある。

しかし、これを企業側の姿勢として受け取れば、「10年泥のように」は、新人が異物で無くなるまでは、その力を一切使う気がないという宣言だ。

会社や業界の色に染まってない時期、フレッシュな感性やアイディアを持っているうちは本当の即戦力ではなくて、泥にまみれてネズミ色のスーツが似合うようになってきてはじめて人材として評価される対象になるということだろう。

IT業界はコンシューマだけではないけど、直接消費者を相手にしてモノやサービスを売る部分もたくさんある。そういう産業の大部分がWEBによる地殻変動に直面している時に、そんな考えでいいのだろうか。外部から入ってきた人は、社内の人間が持ってない情報、感性、価値観を持っている。それをアンテナとして会社がどれだけ有効活用していけるかどうか、普通のコンシューマ産業は今みんなそれを考えていると思う。

それと、この発言をした人は、その場が「アウェイ」だという認識はあったのだろうか。

このフォーラムは、背景に学生のIT業界に対する不信感があって、それを解く為に企画されているのだと思う。業界の中から見てそれが誤解に思えたとしても、既に不信は相当広がっているわけで、価値観に大きな開きがあるという現状認識を持って臨むべき場だ。

「10年泥のように」という言葉を、たとえば入社式の訓示の中で使ったとしたら、その真意を汲まない方が悪いかもしれない。それは、聞く側が、その場にある特有のコンテキストに近づこうと努力して聞く場だからだ。

これは想像で言うのだが、IT業界の偉い人は、常にコンテキストを深く共有する人の中だけで働いてきた人である。そういう集団の中でのまとめ役、調整役としては有能だったのかもしれないが、「アウェイ」できちんと言葉を発する経験はあまりされてないのではないかと思う。「役員会に英語を」の部分も含めて、そういうキャリアを想像させる発言である。

では、コンシューマ以外の分野、企業の業務システムならば、内向きの企業文化に染まった人たちだけでやっていけるだろうか。

確かに、それは日本の中では大きな強みとなる。業務システムを構築する時に、外資系は自社のコンセプトを上から押しつけるのに対して、国内のメーカは、客先の企業文化を大事にして、それを壊さないように手間をかけてシステム化する。そういう信頼関係の中に異物が入りこむことは難しい。

たとえば、小規模な小売店と地場に密着した問屋の伝統的な商習慣みたいなものを、なるべく壊さないようにコンピュータに乗せるなんてことは、自分たちもどこか共通点を持つベンダーでなければできない。こういう仕事をする為には、ユーザ企業の持つ言語化されない意図を汲み取れるSEが必要で、「泥のような」修行期間は必須である。

しかし、外資はそこに入ってこないで、コンビニのフランチャイジーにPOSシステムを提供するというような入り方をする。

これたとえ話で私が言いたいのはPOSシステムではなくてSaaSのことだ。SaaSは、自社の業務プロセスを変える気がない会社には入らないだろう。SaaSは、それを活用して従来の業界を壊すような会社に採用されていくだろう。SaaSによって客を奪われることはないけど、客をつぶされることでシェアを奪われていく、そういう危機が迫っている。

そういう時期に、異物を異物のまま活用する気が全くないことを見せてしまって、それでいいのだろうか。

それでは業務システムでも、民間の競争と隔離された社会のインフラとなるようなシステム。そういうシステムならば、安定した企業文化に支えられた昔ながらのシステム開発が必要とされるだろうか。

IT業界と十把一絡げにまとめているが、人材がもっとも欲しいと思っているのは業務システム・インフラ系システムを開発しているところであり、ここで求められる人材像は業務知識に精通し、かつ、大規模システムをチームワークで作れる人材である。技術力を持っているに越したことはないが、技術力があったとしても業務知識がないと開発に投入できないので、どうしても社内で教育して育てる必要がある。このような業務システムの開発は、西垣さんが引用した現場叩き上げ主義とよくマッチする。

これは、西垣氏の真意を汲んだ正確な要約だと思う。

しかし、ここで言っている「技術力」とは、30年前のプログラミングの水準の話である。確かにその頃には、プログラミングができるだけでは、大規模で高品質なシステムを開発することは不可能だった。

この30年間にプログラミングは相当進歩しているが、そこに全く注意が払われてないことをこの発言は示している。

たとえば、次のような議論がある。

非常に専門的な議論なので、あえて@ITの真似をして煽り風味でまとめると、Web回りでたまたまうまくいったやり方で「TDDを知らない年寄りはもう全員引退しろ。これからは俺達の時代だ」みたいに、いい気になってる若造を「馬鹿やろ、この世界はそんな甘いもんじゃねえ」と業界の重鎮が諫めている図だ。

しかし、諫める側のCoplien氏が強調するのは、「業務知識」のようなあいまいなものではなく科学的なエンジニアリングの重要性である。プログラミングを体系的に整理して、高度化することで大規模なシステム開発を管理する方法論である。

いわゆるギークとは全く違うタイプだが、Coplien氏もまたスーパープログラマの一人である。こういう人が語ると、業務システム・インフラ系システムも全く違う世界に見えてくる。

日本で同じような議論をしたら、Coplien氏のようなC++の達人ではなくて、Cobol時代のプログラミングしか知らない人が出て来るだろう。

日本のIT産業は、30年前の技術に最適化されている。しかも、当時のプログラミングで解決できなかった問題を、企業文化の中に取りこんで属人的に対応して、そのままになっている。それを「業務知識」と呼び、それを暗黙知のまま継承することを強いている。だから、Coplien氏が進めているような、人材の配置を含めた開発プロセスそのものを見直すことを要求する技術を取り入れる余地が無いのだ。

そして、これらの問題全ての背後にあるのは、組織の共同体化ではないかと思う。組織が、内部の特有の文化、価値観を守ることを第一の目的としてしまっている。だから、危機を認識すると、より一層内向きの言葉で内部に向けて固まろうとするのだ。

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(追記)

私は「Mudコンピューティング」を肯定的に見る意図は全くなかったけど、このエントリは面白いと思いました。