フラット化に対する堤防は確かに存在するけど

ある意味、日本人の日本語縛り+「内」「外」意識+高水準サービス慣れに助けられてるんですよね。電話サポートに問い合わせて、海外のコールセンタに繋がって不自然な日本語話されたら下手するとクレームものだったりするでしょうし、英語の訛りを矯正するのとは訳が違いそうです。

フラット化に対する堤防が、日本には確かにあると思う。この短い文章は、それをすごくコンパクトに表現している。コールセンターのような接客業務ではなくても、「高水準サービス慣れ」という所が問題になる仕事は多そうだ。

回りの人にこの話をすると、帰ってくるのはこれと同じ反応が多い。実際、お互いにもたれあうことを前提としている今の仕事の流れに、文化の違う外国の人が入ってきても、なかなかうまくいかないだろうな、という気はする。

でも、堤防があるということは、決壊のインパクトが大きくなるというだけのことではないかとも思う。

それにしても、恐ろしいのは、これらの本に書かれている出来事が、一体どこまで・どれくらい普及しているのだろうか?この先どこまで普及するのだろうか?という点である。日本では、「製造業の現場が中国に持って行かれて空洞化が起こるのではないか」というレベルの懸念が多く、サービス業や士(さむらい)ビジネス、ITやハイテクの上流工程まで含めて職が流出する、みたいな話(アメリカではもうこのレベルだ)はあまり聞かないように思う。

確実なのは、アメリカで国境を隔ててひとつの仕事をする為のノウハウやインフラが蓄積されているということだろう。

前の会社では、常に IRC を立ちあげていて、 どんな業務においても IRC を使って会話をしながら行なっていた。 そのログはウェブに自動的にアーカイブされるので、 後から見れば仕事の内容や、かかった時間や、 そのときの状況なんかが良くわかる。 大人数でペアプロをやるようなもので、ノウハウの共有なんかも 自然にできちゃう。

「社内ブログより IRC の方がベター」というのは、言われてみればそうかもしれないと思ったけど、こういう実践的なちょっとしたノウハウは、TIPSとかLifehacksの小ネタにはなっても、「グローバル経済の行く末」みたいな大きなテーマにはなりにくい。

そういう小ネタが蓄積されていく様子が、堤防の向こう側でどんどん水位が上がっていくようなイメージに見えてしまうんだけど、これは妄想入ってるだろうか。

昔、ダムのゲートを自動的に開閉するシステムを開発したことがあるんだけど、水位が上がってきてからいかに安全に水を流すかという所に膨大な制限事項があってそこですごく揉めて苦労した。でも、現場の人は、天気予報を見て前日に水を流してしまうので、実際の運用では、そういう緊迫した場面はほとんど起こらなかった。折角作った高度な制御ロジックはほとんど出番が無くて、ちょっと拍子抜けした覚えがある。

でも確かに、堤防に頼らないで、先に水を流すのが一番安全なんだよね。