つたない英語だろうがなんだろうが、彼らにとっては日本語よりも65536倍わかるんだから。

つたない英語だろうがなんだろうが、彼らにとっては日本語よりも65536倍わかるんだから。

そう、これ重要。めちゃくちゃ重要。

DHHに質問責めにあった時、田中 哲さんが一緒にいて、田中さんの英語の発音はほとんどこれと同じだったけど(スミマセン!)、日本人英語に慣れてないはずのDHHにもしっかり通じてた。

私のプレゼン資料(要Firefox)も、DHHに見てほしいから英語にしたけど、たぶん定冠詞とかそういうのがあちこちおかしいと思う。

どんなにひどくても英語なら何割かは伝わるけど、日本語だと99%伝わらない場面はある。

ちなみに、私は大半の読者より自分の馬鹿さ加減をよくわかっていると思う(→アンカテ(Uncategorizable Blog) - サリエリの教養あるいは永遠のアウエイ)。幅広い教養が無い人には、自覚しながら毎日恥をさらしているこの痛みはわからないだろう。

でも、どんなにひどい変な文章でも、テレパシーよりはブログの方がずっと何かが伝わる確率は高いから、書いているのだ。

ある種のコミュニケーションに向けた努力を、自分の身を削ってやることは、人類の一員としての責務ではないかと思う。晒すべき何かをみんな持っていて、もちろん晒す必要のないものや晒すべきでないものもたくさんあるけど、それは自分にようく聞けばだいたいわかる。

ちょっと工夫すれば、時間も収入も地位も名誉も犠牲にしないでそれをすることは可能だけど、何かを晒す為には、どこか身を削ることが避けられない。そこから逃げるとコミュニケーションは不可能だ。

そういう「伝えるべき何か」は毎日やってくる。