「信者」である権利と教祖の取締りの両立は可能か?

エスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。

「網」という生産手段を所有する立派な漁師と言えば、今で言えば、有名大学を卒業して一流企業に就職したエリートに相当するくらい、社会の中核を担うことを期待された若者であっただろう。そういう将来有望で安定した生活を約束された若者が「すぐに網を捨てて従った」ということは、回りの人、特にシモンとアンデレの親御さんには、非常に衝撃的なことであったに違いない。

そして、この時点のイエスは、布教開始直後であり、何の権威も名声もない。ここには、彼らがイエスについていくことについて、イエスの言葉以外に何のロジック、弁明もない。宗教とはそういうものである。

こうやって若い人をたくさんたぶらかした教祖が、その後、何を言って何をして世界と使徒に何を残すか、そこには大きな違いがあって、いい宗教、悪い宗教というものはあると思う。

しかし、信者にはいい信者と悪い信者はない。シモンとアンデレとオウマーオウム信者の間には、何も違いはない。

社会が悪い宗教を弾圧することは自己防衛として当然であるが、人が信者となることを規制する権利は誰にもない。そして、信者が信者となる時に、教祖がどういう人なのか「事前にしっかり確認しましょう」と命令することもおかしい。教祖は信者の評価基準を超越しているから教祖なのであって、それは信者となること自体を規制することに等しいと思う。

信者となることを基本的人権のひとつとして認めて、教祖を監視してふるい分けするのは、随分苦しい綱渡りのようなことだが、近代的社会とは、その綱渡りをすることを甘受しようと覚悟した社会である。

そして、私のこういう認識からすると、弾さんの404 Blog Not Found:オウム憎んで人憎まぬためにには若干の異論がある。

オウムのような「大社会に害を成す小社会」に対する方法というのは、基本的に二種類しかない。

弾圧と統合、だ。

弾圧メソッドの日本代表は織田信長だろう。彼は文字通りまつろわぬ者を鏖し(みなごろし)にした。彼の後継者もこの路線を受け継ぎ、「島原の乱」で一応の終止符を打った。

織田信長は、私が言う近代社会と宗教のパラドックスを理解していたように感じる。だから、彼を単純な「弾圧メソッド」の代表例とすることはおかしいし、それによって重要なことを見落してしまうと思う。

信長の「天下布武」とは、権力の一元化、明文化であって、「小さな政府」に近い政策である。

日本の中世では権力として、公家と寺家、武家が複雑に絡み合っており、信長の志した天下布武とは、その公家、寺家を廃して本格的な武家政権を作るという意味をもっていたと考えられる。

また一方では安土城天主内の天井、壁画に仏教、道教儒教をテーマとした絵画を使用したり、浄土真宗延暦寺の宗教活動自体は禁止しなかったことからも、宗教自体を否定しているのではなく天下布武事業の一環として、既存の宗教との政教分離や政治上の宗教の統一を考えていた可能性もある。

つまり、信長は権力の範囲を限定して、その範囲の中では「鏖し」を含む超強行路線で原則を貫いたが、そこにタッチしないことを受け入れた勢力には基本的に干渉していない。

室町時代には、自民党の派閥のように原理原則なく集合離散するさまざまな勢力が「大きな政府」を形成していた。応仁の乱 - Wikipediaを見ると、「畠山」「斯波」「富樫」等という名前が東西両軍に出て来る。同族がつまらない利害関係で対立していて、政策的に明確な対立軸が何もない。また、寺社勢力や座というものは、参加者を全人的に縛るもので、寺社と言いつつ経済的な利害関係に口を出すし、座と言いつつ成員をあらゆる面から束縛していた。

こういう状況で個人の自由を最大限確保する為には、権力構造の一元化と範囲の限定が必要である。それを一切の妥協なく進めたのが信長である。「権力の範囲を限定する」ということを受け入れない中世的権力がたくさんいて、これらと信長が対立していたのだ。

信長にとって「悪い教祖」を根絶することが第一の優先項目であったことは間違いないが、それによって目指したことは、個人に最大限多くの選択肢を与えることである。

つまり、「信長メソッド」とは、教祖を弾圧し信者を統合することであり、私は、ここに我々の目指すべき方向があると思う。

もちろん、教祖の権力とは彼を絶対的に信仰する信者たちのことであって、「教祖を弾圧し信者を統合する」ということには矛盾がある。近代社会は信長のように、そこに明確な優先順位をつけてない。

弾圧をしないことに決めたのであれば、彼らを「統合」するしかない。彼らの居場所を用意し、社会全体でゆっくりと「毒を抜く」のである。

「毒を抜く」というのは宗教をナメてるように私には思える。「統合」があり得るとしたら、我々が彼らに統合されることしかあり得ない。それが嫌だったら、どうして彼らが我々に「統合」され得ると考えるのだろうか?

だから、私は、弾圧と統合のパラドックスの間で綱渡りをするしかないと思う。「信者である」ということを甘く見ていると、弾圧にも統合にも失敗する。

具体的には、オウムの残党は警戒し監視されるのはやむを得ないと私は考える。信者の形式的な基本的人権を守って、それを行なうことは難しいけど可能だと思う。ただし、「信者」である権利という深い意味の人権は治安と両立しないので侵害されることになる。それは、必要悪として受け入れるしかない。そこに全く矛盾がないというのは欺瞞だと思う。