「産業構造」の中の人、必死だなw

ここに引用されている圏外からのひとこと 避難所 - トランザクションがないのに金になるシステムという記事を書いた時、私がこの続きとして書きたいと思っていたことを、ピッタリそのまま書かれてしまった。つまり、

これはWeb2.0というより、1.0の人たちも含めてネット企業全般に言えることだ。ライブドア騒ぎのおかげで、「ネット企業」と言えば「アブク銭」「ヒルズ成金」みたいな扱われ方をされるようになってしまった。なぜそんなに手のひらを返すように変わるかといえば、味方が少ないからに違いない。なぜ味方が少ないかというと、一言で言えば、雇用への波及効果が低いからだ。

私もまさにこのブログのこのエントリーのこの部分を引用して、「技術の話の背後には産業構造の問題が隠れている」という趣旨のエントリーを書こうと思っていた。そのポイントが、しっかりわかりやすく書かれていて、付け加えることは何もない。

それで、しょうがないから、

最後に、essa さんはサイトの似顔絵とむちゃくちゃ似てた。

という所に噛み付こうかとも思ったけど(笑)、それはやめにして、さらに無理に続きを考えてみたら思うところが出てきたので、アドセンスは21世紀のフルブライト留学制度だという記事を書いてみた。

つまり、ネット企業は、確かに、既存の産業構造の中ではファミリーを作れずに浮いてしまうのだけど、別の種類の人を救いあげ、そこに新しい経済圏を作る可能性がある。

スーパーハカーになることは、K1でグランプリを取るくらい困難で稀有なことだと思うが、特別の才能に恵まれた人が、10年くらい人一倍努力したらそうなれる可能性は充分ある。英語も算数も資本主義の仕組みもネットの存在も何も知らない10才の少年が、10年間努力したら、スーパーハカーになったり天才起業家になるかもしれない。

「別の種類の人たち」とは、私がこのエントリーで「ネットのスーパーサモア人」と呼んだ人たちかもしれないが、引きこもり、ニート、フリーターのような、月10万円で充分満足できるたくさんの「持たざる人」たち、「産業構造」に参加しない人たちかもしれない。その人たちが「参加しない」のか「参加できない」のか、これはどちらに決めつけても多くの問題が派生する難しい問題だが、あえて「参加しない」という要素が皆無とは思えない。

これは、「金」が「物」に対応しているという認識の延長だと思われる。しかし、金を金たらしめているのは、実は心ではないか?

「金が物と交換できる」ということを担保しているのは、物理ではなく心理である。この心理は一朝一夕に出来上がったものではなく、長い時間かけて出来上がり、最近になってやっと「常識化」した集団心理である。

既存メディアやSIerが持っている「産業構造」という基盤の根っこには、この「金が物と交換できる」という心理がある。それは心理であって、物理ではない。心理だから、入れかえることが可能なのだ。

「入れかえることが可能である」ということは「入れかわるだろう」とか「入れかえるべきだ」ということを必ずしも意味するわけではないけど、まず、別の選択肢を提示することには意味があると思う。

別の選択肢を提示した結果どうなるかは、むしろ、ネットメディアに関わる人の方が悲観的で、既存メディアに関わる人は、何の制約もなく二つの選択肢が提示されたら、絶対に人々は新しいものを選択すると確信しているように見える。そういう確信があるから、病的に怯え、必死でアラ探しをして叩くのだろう。そうでないなら、もっとどーんと鷹揚に構えているんじゃないのかな。

「産業」というコトバは、鉄腕アトムの頃には、もっとずっとワクワクする言葉だった。その記憶を必死で隠蔽しながらもかすかに覚えている人たちは、だから後ろめたい思いをかかえながら、ワクワクすることをしている人たちをうらやんでいるのかもしれない。