「質の悪い言論の自由」と「P2P不拡散防止条約」
ムハマンドの戯画問題について。時間がないので要点のみ。
こういう問題の背後には、「揉めれば揉めるほど利益を得る人たち」がいる。それを指摘する人はいるが、そういう勢力をどこにアイデンティファイするかにおいて、見解はいろいろあるようだ。
私は、そういう人たちの本当の立場がどこにあるかはわからないが、その人たちが何にのっかっているかは、想像できる。「質の良い言論」が自分の言葉を代弁してないと感じる人が多くなると、揉めさせるためのリソースが提供される。
この問題についても、「質の良い言論」と「質の悪い言論」があるが、「質の悪い言論」を次の二つに分断することが重要だと思う。
- 揉めれば揉めるほど利益を得る人たち
- 「質の良い言論」が自分の言葉を代弁してないと感じる人
こうモデリングすると、日本にも同等の問題がたくさんあることがわかると思う。
「質の良い言論」と「質の悪い言論」を区分けすることは、この両者の分断には役に立たない。むしろ、両者を一体化して、「揉めれば揉めるほど利益を得る人たち」の利益となることにつながる。
もちろん、「質の悪い言論」の中から「質の良い言論」が見落している部分を掬いあげ、それを質の良い言葉に直す努力は必要だろう。しかし、その過程で抜け落ちるものが常にあることは、歴史が証明している。
だから、「質の悪い言論」の自由を守ることを考えるべきだと思う。
「質の悪い言論」そのものが感情論を増幅するのか、制限された言論環境が感情的な爆発につながるのか、それを慎重に見極めるべきだ。
そして、「質の悪い言論」を抑えこんだ場合、それは、最終的にはP2Pに逃げこむと思う。P2Pは有用であり、トレーサビリティを切ることが可能であることはほぼ確定している。本当の意味での匿名掲示板は、核兵器のように、既に重要なブレークスルーを通りすぎ、原理でなく技術の問題になっている。
技術の進歩に対して、副作用の多い不自然な抑圧をかけないと、P2Pは止まらない。
選択肢は二つ
「質の良い言論」が進歩して、いつの日か誰もがそれに参加できる日が来るかもしれない。しかし、1のコースを取るならば、それはP2Pより早く進化しなくてはならない。
また、「質の悪い言論」を否定するならば、「P2P不拡散防止条約」が危急の課題であることを認識すべきである。