ネット検閲批判は一筋縄ではいかない
中国のネット検閲をめぐって、国境なき記者団がIT企業を批判している。この批判の趣旨は理解できるが、非常に疑問を感じる部分もある。
中国のネット検閲をめぐって--「国境なき記者団」の考え - CNET Japan
これらの非倫理的行動について、当の企業に質問すると、彼らは口を揃えて「われわれは中国の法律に従っているだけだ」と回答する。しかし、その考えはいささか安易と言わざるを得ない。
この訴えは、中国の法律より上位に、自分たちの倫理、見識を置くべきだという主張である。これが正当化されるとしたら、対象となっているIT企業が「ジャーナリズム」であるという前提を置かなくてはならないと思う。
しかし、グーグル、ヤフー、(ブログサービス提供者としての)マイクロソフトならまだ理解できるが、ルータというハードウェアを製造するメーカーまでもが、同様に非難の対象となっている。
Cisco Systemsは、中国におけるインターネットのインフラ全体を構築した。同社は、中国のセキュリティサービスにインターネットユーザーの監視を可能にする機器を提供したとされる。
ネットに関わるビジネスを行なう企業は、コンテンツを扱うので、単なる私企業ではなくて、一定の倫理的責任を負うべきだという議論なら理解できる。ただし、その「倫理的責任」は新聞社のような「ジャーナリズム」そのものを扱う組織と同じレベルではないだろうし、対象の企業の業務内容によっても違ってくるだろう。
シスコとグーグルとヤフーと新聞社を全て同じカテゴリーに入れて、同等の責任、見識を期待するのは、どう考えても無理があると思う。
これに対して、批判の対象となっている企業からは、次のようなメッセージが出されている。
中国のネット検閲、問題解決は政府間の対話から - Googleなどが声明 (MYCOM PC WEB)
今後の動きとしては、問題解決に向けて、引き続き中国国内の情報検閲について中国内外の学者、技術者、政府関係者、アナリスト、ジャーナリストなどと活発に意見を交換する。またネット情報を検閲する国への対処法について、インターネット産業全体が歩調を揃えられるように、共通のガイドラインの必要性を訴えていく。
私は、このように倫理的判断を外部に委ねることは、正しい姿勢だと思う。
企業が法律の上位に経営者独自の倫理的判断を置いて、時として法律を破ってもよい、という考え方は危険である。その判断が暴走した場合に、歯止めをかけるものは、市場と株主の圧力以外にはなくなってしまう。
ただし、ガイドラインの作成が困難なものになることは容易に予想される。また、仮にできたとしても、固定的なガイドラインでは、おそらく問題は解決しない。
ネットビジネスは流動的であり、従来の常識をくつがえしカテゴリを創造することの競争である。「ブログサービス提供者向けガイドライン」と「検索エンジン向けガイドライン」ができたとしても、二つのガイドラインを掛け合わせたら、両者をマッシュアップしたサービスに対する適切なガイドラインになるとは限らない。かと言って、新聞社に限りなく近いニュースサイトのようなサービスと、インフラを提供するルータメーカを同一の枠組みで規制することも難しい。
ガイドラインは必要だが、その対象を適切に定めるには、ネットビジネス全体に対する幅広い視野と、将来の動向を適切に見極める能力が必要である。それをする能力は、ベンチャーを起業し成功させる能力や売れっ子のコンサルタントになる能力にほぼ等しい貴重なものであり、その能力を判断すること自体がとてつもない難題である。
だから、この「倫理的ガイドライン」というものを、ビジネスの動向に追随してアジャイルに提供できるような、そういう枠組みが必要とされているのだと思う。私は集団知というものが、その役割を果たすことを期待しているが、それを危険なものとみなす人がたくさんいることも理解しているつもりだ。「集団知にこの機能を託す」という合意を得ることも簡単ではないし、まして、この問題の為の適切な集団知の仕組みは何なのかは全くわからない。
まずなにより、ここに多数のジャンルにまたがる非常に大きな難題があることが認識されるべきだと私は考えている。