それにしてもケータイの型番が揃っていることが気持ち悪い

naoyaさんのコメント


携帯電話について、少なくとも統制が取れていないよりも、今のドコモのやりかたのほうがサービスやコンテンツの立ち上がり速度は確実に上だと思います。


ドコモがやってるのはサービスやコンテンツ自体ではなく、そのプラットフォームなんだから、どんどん勝手に進化していくよりもロードマップを明確にして全体が進んでいかないと、上に乗ってくるもののレベルが上がっていかない。当然携帯端末だけで見るとNOKIASAMSUNGに負けるけど、じゃあ欧米で、その進んだ端末に向けたサービスやコンテンツができているのかっていうと全然立ち上がってない。日本と海外では携帯市場の重みのあるところが違うんですよ。

携帯は全然わからないんで、そう言われると「そうかもな」と右往左往してしまいますが、これ問題が二層に分けられると思います。

  1. メーカーをコントロールしてロードマップを明確にして全体を進展させるという戦略自体の是非
  2. その戦略を「型番統一」で行なうこと(が象徴しているメンタリティ)の是非

1については私は何とも言えませんが、それが必要であり正しい戦略であったとしても、型番を合わせることはないと、私は思います。

このコメントをいただいてから思い出したのですが、始めてiモード携帯を買う時にどこのメーカーにしようか検討していて、メーカが違うのに型番が統一されていて、わかりやすいけど気持ち悪いと思ったのを思い出しました。

ドコモが認定ロゴを出して、規格やサービスレベルを統一するのはいいとしても、規格に名前をつければいいと思います。パソコンでは、USBとかintel insideのような規格の名前が製品のアイデンティティに入りこむなんてことはあり得ませんが、それで消費者が混乱してはいないですよね。

どういう経緯でそうなったのかはわかりませんが、メーカーをまたがった「型番統一」という発想は、旧電電ファミリーの体質そのもので、すごおく気持ち悪いです。

naoyaさんがおっしゃるように、日本でケータイのコンテンツがしっかり立ち上がったのは、サービス内容をユーザにわかりやすくアピールできたことが大きいと思うのですが、そこに「型番統一」がどれくらい寄与していたのかに興味があります。

おそらく私が「気持ち悪さ」と感じるものに、平均的な日本人ユーザは「安心感」を感じるのでしょう。

ドコモの強さがそこに強く依存していたとしたら、ケータイは世界に進出できないし、そうでない、戦略と実行の巧みさ全般に評価すべきものがあるとしたら、多少の練り直しでそれが他国の市場にも通じる可能性は十分あります。

あるいは、「型番統一」好きというメンタリティ自体を文化輸出して、世界征服するというやり方もあるかもしれません。