Web2.0 is the aggregation of "一期一会"

一期一会(いちごいちえ) - 語源由来辞典


一期一会の語源は、「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ」といった、茶会の心得からである。

mottonさんからコメントをいただいた。


Linux以降のバザール系オープンソース開発と、essa さんの言われる Web2.0時代のソフト開発との違いが良く分かりません。同じものなんでしょうか。

似ているけど違いがあるような気がして、その違いについて考えているうちに、「Web2.0とは一期一会の集積である」というキャッチフレーズが浮かんできた。

オープンソースでもWeb2.0でも、たくさんの人が自然発生的に集ってソフトを開発することは同じなんだけど、旧来のオープンソースでは、自然発生的にできるものは組織、あるいはコミュニティである。人間関係が先にできて、ソフトはそこから生まれてくる。

その関係のでき方はそれまでのソフト開発を行なう組織とは随分違う。利害関係はないし、違う国に住んでいて、顔も知らない人たちが共同作業をする。しかし、まず関係ができてからソフトができることは、プロプライエタリなソフトと同じである。

Web2.0的なソフト開発ってものがあるとしたら、人間関係をすっとばして、人が集るといきなりソフトができて、そのまま人は散っていくようなものになるのではないかと思う。つまり、「誰か一緒にやろう」的なものがオープンソースだとしたら、「誰か後をタノム」的なものがWeb2.0

私の小さな経験で言うと、Amritaを公開した時に、「このプロジェクトが一番うまく行くとしたらどうなって欲しいですか?」と聞かれたら、「Amritaプロジェクトができて、たくさんの人と一緒にこれを中心としたWebアプリサーバを開発することです」と答えただろう。

しかし、ClickableTooltipを公開した時に同じことを聞かれたら、「この仕組みがいろいろなブログツールやブログサービスに取り入れられて、たくさんのブログがこの機能を実装することです」と答えたと思う。

どちらも、最後まで自分が関わるつもりはなかったけど、誰にどう託したいかということには大きな違いがある。Amritaの場合は、信頼できる誰かに託したいと思っていたが、ClickableTooltipの場合は、知らない誰かが私に断りなく勝手に進めてくれる様を夢想している。

Amritaは、自分の気紛れや怠慢や能力不足の為に「プロジェクト」と言うほど人を集めることはできなかったけど、信頼できる人に引きついでいただいて、夢は半分くらいは実現した。でも、ClickableTooltipでは、同じようになったらいいなとは一度も考えてない。

その違いは、ソフトの規模や、使用した言語がまだよく知らないJavaScriptだったこと等、ソフト自体の性質に由来する所もあるけど、私が、ネットの中に見ているものが変化した(と自分で感じている)ことから来ているものが大きいと思う。


公開したデータは、盗まれ検算されそれを取りまく人の動きを推測する為に使われ、笑われ感心され無視されトホホと言われ人を感動させ時になぜか人を立腹させ、コピーされ改変され再配布され、全ての可能な使われ方で使われ消費される。

自分の書いたソフトがWEB2.0サイト = 発酵食品説に書いた、こういう運命をたどってくれることを私は願っている。もうちょっと具体的に言えば、自分のチャチな実装は捨てられて、誰かが勝手にこのUIをうまく作り直して欲しいと思っていて、どこのブログでも、アンカーテキストにマウスオーバーすると、そのURLに関連する情報がもっとずっとカッコよく集約された形で表示されるようになることを、私は望んでいる。

それが実現する可能性は低いと思うが、私が夢想する最高のシナリオは、2〜3年前と随分違うものになっている。

そして、そのシナリオが万が一実現するとして、私の後を継いでくれる人と私の関係は、一期一会だろう。彼または彼女と私は、一瞬だけすれ違って、その後は全く違う道を歩んでいく。運が良ければ、ClickableTooltipにはたくさんの一期一会が起きて、その連鎖の果てに、全く別のソフトができあがる。そこに、私のコードやアイディアの何が寄与しているのか、誰にもわからない。

そういう一期一会の集積では、大規模なソフトはできない。しかし、microformats的なものが、集まって全体として大仕事をやり遂げる。それが、Web2.0時代のソフト開発だと思う。Web2.0時代には、人がソフトを開発するのではなくて、ソフトが一期一会の集積の中を渡り歩き、ミームとして棲み分けながら自分で進化していくのである。

もちろん、「そんなふうにうまく物事が進むわけがない」と思う人が多いだろう。私もほぼ同意する。私も「そんなふうにうまく物事が進むことはめったにない」と思う。しかし、「うまく行くことがめったにないようなやり方」で物事が進むのがWeb2.0だ。世界のどこかにある「めったにない僥倖」を掘り出してageて共有すればいいのだ。