「ユーザ体験」がソニー製品から消えた

私は、1979年発売のウォークマン1号機をリアルタイムで体験した世代だが、「好きな場所を歩きながら好きな音楽を聞く」という体験は、ユーザ体験そのものであった。「街を歩く」ことも「音楽を聞く」ことも好きでよくしてきたけど、両者が合わさった別の世界は、それまでに全く経験したことの無いものだった。「このアルバムにはどこの街が合うだろうかか」と、それだけの為に街をさまよったことが何回もある。電車に乗って、海へ音楽を聞きにいったこともある。

しかし、「技術のソニー」に立ち返れ(津田大介)【コラム】 ビジネス-最新ニュース:IT-PLUSという記事にある25年後のソニーの失敗は、「ユーザ体験の軽視」の一言につきる。

同じユーザ体験を、複数の部署が同時に提供しようとして混乱した。ソニーが混乱したというより、ユーザが混乱してしまったのではないか。組織が製品ごとに一本化されてなくても、調整できれば何も問題がない。調整のルートがないのではなく、誰が何を提供するかを調整する為の基準としての「ユーザ体験」を、ソニーは失ってしまったのだと思う。

「私はユーザのこういう体験を提供するから、あなたは別の体験を受けもってくれ」

「こちらはリスクを取って新しい体験を作り出すから、そちらは古い体験を着実に固めてくれ」

製品にフォーカスしないで、体験にフォーカスしてそういう調整ができていれば、ここまで深刻な問題にはならなかっただろう。