「あれどうなっているかね?」で発動する何か

山本七平氏は編集者に恵まれなかった作家だと思う。

と言っても、山本書店という出版社を経営されていた山本氏ご自身がセルフプロデュースしていたわけで、その駄目な編集者とは山本氏本人のことになってしまうが、作家としての巨大さと比較して、編集者としての山本氏は、あまりにも平凡で作家の魅力を表現できてない。

たとえば、指導者の条件というこの本、タイトルが完全に間違ってる。これは、リーダーになる人が読む本ではなくて、駄目なリーダーに引っぱり回される下っ端こそが読む本です。

それと、この本に関してもうひとつ大きな判断ミスがあって、発売の時期を間違えている。これは、2005年8月に出版すべき本でした。


日本人の自前の組織といいますか、自前の政府ができたのがこの貞永式目の時代でして、日本の組織のいちばんの基本を探れば、鎌倉幕府になるのではないか。あれが、日本の組織の原点ということになるのではないかと思います。(以下、P25から部分的に引用)


(北条氏の裁定というのは)その裁定もはっきりとは下さない。どうなったかと、質問するだけなのです。


なるほどこれが鎌倉以来の武家方式だと思ったのは、海軍大将だった嶋田繁太郎の日記を見ると、戦時中の昭和天皇も質問しかしていないのです。「これはどうなっておるか」、こう質問するだけです。何の命令も下していない。


日本の大企業へ行ってみるとよく分かるのですが、偉い人というのはみんな天皇方式の質問をするだけでして、絶対、命令を下さない。部長なり課長なりを呼んで、「君、あれどうなっているかね」と聞くだけです。これをしろ、あれをしろ、ということはいっさい言わないのでして、すべて「あれどうなっているかね」です。


この質問方式の基本は何かといいますと、「どうなっているかね」と質問するのは、どうかなってないからなのです。だからそれを何とかしろといっているわけですが、どうするかは、暗黙のうちにみんなが分かっているということなのです。ということは、そこに何かの基準があるはずですが、この「何か」というのは常に表には出て来ない。つまり、組織ならその組織の枠内で通用する「何か」がある、それをみんなはなんとなく知っているけれども、それは言わない。言わなくても、質問だけでそれが分かる形になっているのです。

「どうなっているかね?」で発動する「何か」が機能しなくなっているから、国会は解散して自民党が分裂したわけで、国会にも自民党に関心がなくても、その「何か」に関心ある人が、小泉人気をささえているのだと思う。

小泉さんの敵は「どうなっているかね?」以上のことを小泉さんが言うから怒っているわけで、味方は「どうなっているかね?」以上のことを小泉さんが言うから混乱してしまうわけで、「どうなっているかね?」以上のことを言わないリーダーの下で困っている人たちが、これを見て、面白がっている。

面白がっているだけではいかんと思う人は、「どうなっているかね?」で発動する「何か」について書いてあるこの本を読むべきだ。

「どうなっているかね?」で発動する「何か」を原理にした日本の民主主義は、輸入品ではなくて純国産だったのである。そこを他のもので置き換えるにせよ、再構築するにせよ、全体像を把握しないで手を入れるには、あまりにも重要な心臓部である。

この本の本文を読むまで、そういう重要性がわからないから、やっぱり編集者、ダメ杉。

(補足)

「指導者の条件」は、山本氏の死後、講演録を集めて「山本七平ライブラリー」の一冊として発表された本です。ですから、厳密に言えば、これで「編集者 山本七平」を批判するのは言いがかりです。また、売れる売れないでなく、この作家が文章を発表することに当時は多くの困難があったわけで、とにかく彼の業績を後世に残したことで、「編集者 山本七平」は賞賛されるべきでしょう。

それはわかるのですが、ちょっとこれだけ真の価値が外に見えてこない本も珍しいので、未発表のまま価値ある素材を埋もれさせた「編集者 山本七平」ダメ杉というのは、かなり私の本音です。