「操作」され「治療」されるブログを想像する

あまり時間がないのですが、ちょっと気になるコメントがありました。


一番の悲劇は、比較的健康な医者が使える効果的なツールがほとんど存在していないって事だろうね。特にアディクション関係ではね。

「効果的なツールで気軽に直されてたまるか」という気持ちがあるのではないでしょうか。

これが唯一決定的な要因ということではなくて、これにプラスして家族関係や生活習慣のような副次的な要因が加わると、本物のメンヘラーになって、そういう本格的な精神病理的要因が無い場合は、(例えば「甘え」とか就業機会の不足のような別の要因がプラスされて)偽メンヘラーになるということではないかと思います。

ですから、対策は複合的に考えるべきで、この本筋をはずしても効果を得ることはできると思うし、場合によってはその方が有効なのかもしれませんが、時代的な病として共有すべきことは、この気持ちだと思います。

私は、例えば足を骨折したら「効果的なツールで」さっさと直してほしいと思いますが、自分の生き方について「効果的なツールで」判定したり操作したりしてほしくはありません。足とか内臓なら前者で、思考や感情に関わる部分は後者ですが、その境界線は微妙で、気分を操作できるクスリとかだと迷うでしょうね。

気分と感情の間に、「操作してほしくない自分の境界線」というものがあると感じているのだと思います。

そして、同じような境界線が、ブログと職業の間にもあります。誰かがこのブログを「操作」してアクセスを増やしてくれると言ったらそれを拒否するし、仕事上で誰かのアドバイスを受けて収入がアップすることが確実だったら、それを歓迎するでしょう。

その境界線は、今のところは社会のシステムにうまく適合していますが、それは運のようななもので、ちょっとしたきっかけでそのバランスが崩れたら、「効果的なツールで気軽に直されてたまるか」という範囲が広がって、職業や自分を治療しようとする人との対立が起こると思います。

私は、メンヘラー、引きこもり、ニートといった人たちをそのように想像していて、そういう人たちと自分との違いは、体重の違いくらいにしか感じません。その想像が当たっているかどうか確信はありませんが、もし当たっているとしたら、「直る」ってことは、誰かにおそわって言われた通りにブログを書いて、人気ブロガーになるようなもので、全くナンセンスなことだと思います。

私のブログを「治療」しようとする人は大変だろうなと思うので、治療者、支援者の仕事も大変なことで簡単な解がないのが当然だと考えます。