Squeaker大島芳樹のカリフォルニア日記:アラン・ケイの講義

話があちこち飛ぶので、電波な人の独り言を聞かされているうちにそれが伝染して来るような気分にもなりますが。刺激的な話がモリモリで、こういう話を読めることは、大変ありがたいことです。

ネタ元は、私のsmalltalkに関する記事へのご本人からのコメントです。


「普通」ではないかもしれないけど数の少ないコンセプトを一旦理解すれば、後はなんでもできる、という思考形態は、人間にとって本能的に受け入れにくいところがある

ちなみに、よしきさんのこの表現は、私が元記事で言いたかったことのひとつの素晴しい要約でもあると思います。

私が言いたかったのは、次のようなことです。

  1. 世の中には「この思考形態」の中と外があって、そのギャップは大きい
  2. Smalltalkは「この思考形態」のひとつの理想的な具現化である。
  3. ただし、理想的であるだけにSmalltalkが「この思考形態」の外に出て行くことには大きな困難がある
  4. Rubyは意図的に「この思考形態」をまたがった形で作られていて、そこに価値がある
  5. Ruby on Smalltalk-VMは、「この思考形態」の中でなされた研究を「この思考形態」の外で活用する試みでありそこに価値がある

それで、私は「この思考形態」の中と外の両方に同等に価値があると思っていて、どちらかを低く見たり貶そうという意図はありません。

ただ、こういう反応は全く「想定の範囲外」だったので、ソフトウエアの世界における「この思考形態」の中でのSmalltalkの普及度については、完全に見誤っていたということになると思います。