公案系カテゴリミステイク

Tristan vs Isolde ここ暫く「カテゴリミステイク」がマイブームインマイヘッドさんから、


こちらの「あなたが参加する限り、ネットはあなたの上を行く」って、心脳問題いうところのカテゴリミステイクに他ならないでしょう。

そうなんですよ。そのページのどっかに書いてありませんでしたか?圏(カテゴリ)外(ミステイク)とか(笑)?

それはともかく、これはなかなか鋭い問いかけだと思いました。


ここで「あなた」と問いかけている主体はessaさんでもなければ「ネット」でもない。「ネットにおける創発的権力」という着想は、人格的主体とは異なる自然現象やそこに見出される法則性に対して人格を見出すアミニズムとは自ずと分離されるべきものだと思うのだけれど、それが語ることの主体であるPCのモニターの前なり携帯なりでテキストを打ったり打ってなかったりするそれぞれの「私」において自覚的意識的になされているか。「ネット」はチューリングテストすら通らないと思う。

確かに「あなたが参加する限り、ネットはあなたの上を行く」という言葉は、私が言ったものではなくて、どちらかと言えば、私が聞いた言葉ですね。自分がネットをやっている時に、何となく感じたどっかから聞こえて来るメッセージを、一生懸命言葉にしたという感じ。

お前が正しいと思うから、正しいのだ」が触媒になって、このスローガンを思いついた時に「やった!」とは思いましたが、決定的瞬間をとらえたカメラマンのような感じで、自分が主体として全部自力で考えた言葉という気はしません。

「もしあなたがこの言葉に何か感じるものがあるとしたら、これを言っている主体は誰だと思いますか?」というのが、このスローガンの隠されたメッセージなのかもしれません。

昨日よせられた、二つのコメントも、私自身の疑問がうまく形になっている感じがします。


「あなたが参加する限り、ネットはあなたの上を行く」は、見事なスローガンだと思います。が、これではネットの上には何も存在しえなくなります。そもそもネットに上とか下とかがあると思う方がおかしいということ(スローガン)なのでしょうか。(emanonさん)


単純に「上には上がある」「上も下もwrapする存在がThe Netである」「あなたもThe Netの「中の人」である」ということでは。(naka64さん)

ちょうど「絵文録ことのは」さんで、ブログという「対等な立場のコミュニティ」に上下関係はそぐわない という記事が出ましたが、私もある部分ではこれに同感で、ネットは「良くも悪くも「民主主義的」だ」と思います。

このスローガンは、ネットに上下関係を持ちこもうとする人に対して、「それがおかしいよ」ということを反語的に指摘する為に使えるかもしれません。

ただ、ネットがリアルワールドと接する時に、「影響を及ぼしあうあらゆる関係が権力である」というフーコー的な意味(Norbertさんの受け売り)では、そこに権力が発生します。その接点に発生するよじれは、もし表現するとしたら、こういう矛盾を含んだような表現になるしかないと思います。

冒頭のTristan vs Isoldeさんは、もうひとつ鋭い指摘をしています。


日本におけるこの種のアミニズムへのあまりに素朴でそれゆえに顕在化しない信仰とそれに基く日本人の非自覚的自動的な行動が、「社会」概念を監視する主体なき他者という仮想的抑圧者を前提的に含んだものとしてしまう事、その様なものを含まない所から考え始められる社会についての認識の可能性すら一般に疎外してしまっていることを根強くサポートしていると思う。

これは、内田樹の研究室: パリ症候群


「私が不幸なのは私のせいではない(「父」のせいだ)」という発想そのものを「家父長制」と呼ぶのである

につながる話に思えます。

問題のスローガンが、「私が不幸なのは、私のせいではない。(常に私の上を行く)ネットのせいだ」という発想につながりやすく、そのことがネットという言葉に隠れた、背後の主体に対する批判を封じるという側面はありますね。

これは確かに問題だと思います。