記識の外: 良い監視・悪い監視

ミーガン法的議論の進展に対する警鐘


それは、性的欲望の在り様における混沌とした状況の中で、操作的に「異常性欲者」「性的倒錯者」を可視化させることで、人びとを「私たちは、あの『変質者』に比べるとまだマトモだ」というように安心させる機能を果たすことになる。そうして「異常者」カテゴリーを操作的に創り出し、またそれを監視によって可視化することによって、そのカテゴリーの範疇外にいる人々は、自身のことを「正常な」性的欲望の持ち主であると自称することが可能となる。しかし、この「正常さ」はあくまで「異常者」との差異化によって得られた不安定な認識であるため、「正常さ」という認識をより安定的なものとするためにも、今後「異常者」「性的倒錯者」の範疇は(精神病理学的な範疇とは関係なく)拡大していくだろう

なるほどねえ。

  • 「異常」をカテゴライズした範疇外から「正常」 を自称
  • 監視によって「異常」を可視化
  • 「異常者」との差異による不安定な安心感
  • 差異による安定を求めることから必然的に過激化

こういうふうに一般化してみると、多様化というものは、反作用として常にこの方向への暴走の可能性を秘めているのかもしれません。

社会の多様化がどうしても人間の心に負荷を与えてしまうことを認めた上で、我々はどうやってそれを許容していったらいいのか、を考えていかないとね。