トラックバックが書き手主導であることの違和感

僕はトラックバックには漠然とした違和感があって、このブログではトラックバックをはずしているし自分も今は全くトラックバックを送らない。これについて、ちょっとだけ言葉にできそうなので、試しに書いてみようと思う。

WEBが他のメディアと最も違う所は、「読み手主導」のメディアであることだと思う。つまり、WEBでは発信者は自分の文章にURLをつけてWEBの中に置いておけるだけで、それを読ませることを強制することはできない。読む側が、「読みたい」という意思を持ってそのURLにアクセスしてはじめて、そこにコミュニケーションが成立する。読み手の側が能動的に動かなければ、誰にも何を押しつけることができない。

これを原理主義者的に絶対視するつもりはないけど、この特性が、WEBの本質的な利点であって、この原則を見失うと、他のメディアにないWEBの利点は失われてしまうと思う。

この観点からブログを見ると、ブログ自体はこの原点を保持したまま機動性や使い勝手を向上しているわけで、WEBの本質の中核的な部分を拡張したメディアであると言える。しかし、トラックバックは、この原則と逆行している側面がある。

僕は、自分の書く文章と同じくらい、自分がブログの中で何にリンクするかということに、自分のアイデンティティを置いている。だから、たとえ素晴しい記事でも、他の人が自分のページにURLを追加することには抵抗がある。また、自分の記事のURLを他の人のページの中にその人の意思とかかわりなく追加することにも抵抗がある。記事の書き手が、言及するURLをコントロールできることが、読み手主導というWEBの原則に合っているように感じる。

もちろん、それをする為には、お互いの書いた文章を知らせ/知らされる必要がある。「こういうことを書きました」ということは、知らせたいし、教えてほしいと思う。もしトラックバックがその為のしくみとして使われるならば、全く異論はない。そういう感覚でトラックバックを使っている人もいるかもしれない。

しかし、現状よほどのことがないと、送られたトラックバックを削除はしないと思う。送られたトラックバックを特に理由なく削除したら、喧嘩を売ってると思われてもしかたないだろう。トラックバックに対する編集権がオーナーには実質的にほとんど無い、と言ったら言いすぎかもしれないけど、トラックバックを部分的に削除して、自分の読んでほしいものだけ残すことが、恣意的にできなければ、やっぱり嫌だなと思う。

逆に送る時には、ただトラックバックを送ったという理由だけで、そこに自分のブログへのリンクができてしまうことは嫌だ。自分がトラックバックを送るとしたら、たとえ、10回に1回しか採用されなくても、何か理由がある時だけリンクを貼ってほしい。そのリンクを貼る貼らないの選択は、自分の文章がいい悪いとは別の理由でされるべきだと思うし、その理由や選択基準を言葉で説明できなくてもいいと思う。むしろ、本人にもうまく説明できない謎の基準によって、採用不採用が決まるような謎の多いブログの方が面白いだろう。

ということで、現状のトラックバックの使われ方には違和感があるのだけど、文句を言うなら代替案を提示すべきだと思って、そのようなツールやプロトコルを構想してみたりもするんだけど、これが不思議なことに、結局、現状のトラックバックと大差ないものになってしまうんですね。

モデレーテッドなトラックバックとでも呼べばいいんだけど、デフォルト非表示になっていて、オーナーがチェックすると表示されるようになるトラックバックがあればいいんです。それは実に単純な話だけど、ただ単にそれを導入しても、「何でワシのTBが出てこないんじゃゴルア!」ということになって、うまく回らないと思う。

だから、自分が異議をとなえたいのは、技術的な問題ではなくて別の問題のような気がするんだけど、どうも、そこの所がうまく整理できないのです。