自己言及によって変容する世界に住む意味

北斗柄さんの自己言及性で占いは説明できるのか?と、その次の記事を読んでいて、


ひょっとすると世界そのものが自己言及によって変容する性質を根底に持ってかもしれないという可能性

ということについて書こうと思っていたら、ちょうど、Spirit, Soul & Body:遊び的なサイキックの話に、似たようなことが書いてありました。


ブドラさんによるとオーラを見るのは、自分に「許可」を与えることがポイントだということだ。本当は誰でも見れるのだが、自分でブロックしているだけだという。それはすべての超感覚というものがそういうことだろう。

私も、自分の意識が「自分がどういう世界を見るのか」ということを規定している、と考えてます。

ただ、その「規定」には意味があるのではないかと考えています。単純に言えば、自分の魂の成長にベストな方法をハイアーセルフが選択しているということです。自分自身が自分の知覚にリミッターをかけているけど、そのリミッターには必要性があるということです。

だから、科学とかビジネスとかネットとかが、自分にとって重要に見えるように自分の前に現れているとしたら、それに添った世界観でそれについて取り組むべきだと思います。私は「自己言及によって変容する社会とそうではない物質」について語るのですが、それは、今の自分にとってそのことが一番意味があるからです。別の見方を否定するのもよくないですが、別の見方を自分が逃げの為に使ってないか敏感でありたいと思ってます。

私にはオーラが見えないけど、それにひけめを感じることはありません。そして、オーラが見えるようになったらそれを素直に受けいれると思います。オーラが見える人の言うこととオーラが見えない人の言うことはかなり矛盾していて、両方受け入れるのに困難を感じたこともありましたが、「その両方を受け入れたい」と思っている自分はひとつであって、そういうひとつの自分が存在していることを多少感じられるようになってから、あまり困難を感じなくなりました。