離脱可能な独裁権力=一般意思

ノードレイティングP2Pの理念とは、「離脱可能な独裁権力があればルソーの言う一般意思を具現化できるかも」ということのような気がしてきた。

オープンソース的世界観で述べたように、民主主義とオープンソースは違う。民主主義は、個々人の意思を足しあわせたもの、つまりルソーの言う全体意思の方に近い。基本的に矛盾だらけでつじつまがあってない。それではソフトは動かない。

ソフトを動かすにはつじつま合わせが必要で、それは誰か個人か少数の人が集中してやるしかない。独裁か権力集中が必要になる。

独裁権力ではあるけど、それはいつ何どきでも、forkすることが可能だ。つまり、参加者がそこから離脱して、別のプロジェクトを立ちあげることが可能なのである。これが、権力の横暴に対する抑制の機能を果たしている。

実際にforkされるプロジェクトはめったにないけど、それは権力者が自分の好き勝手にできているということではなくて、実態はその逆だ。離脱可能性による権力の監視が機能しているから、権力者はなんとか一般意思を見つけだして、そこに沿っていくしかないのだ。

ソースプログラムはファイルなので、コマンド一発でコピーすることができる。これは、そういうバーチャルな実体に関する政治でしか使えない。コピーできない、リアルな実体については適用できない話ではある。でも、リアルに見えてもバーチャルな実体にのっかった権力も多い。