心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く

大澤真幸氏の推薦文より。


本書の後半の考察は、この「知的な気分」が、今日では、同時に「政治的な気分」でもあることを教えてくれる。つまり、現在の脳情報の氾濫は――つまり「脳中心主義」は――、権力形態の根底的な変容と結託している、というのだ。

これが、脳科学つながりで極東ブログ: 子どもがキレて何が悪いへ。さらに、小林秀雄つながりで、米本昌平他「優生学と人間社会」へ。おまけに優生学つながりで、森岡正博『生命学に何ができるか』へ。


考えるとは、合理的に考える事だ。どうしてそんな馬鹿気た事が言いたいかというと、現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。(中略)だから考えれば考えるほどわからなくなるというのも、合理的に究めようとする人には、極めて正常なことである。だが、これは、能率的に考えている人には異常な事だろう。(「小林秀雄:良心」より、上記サイトより再引用)

能率的に考えるなら、その能率で稼いだ時間で特異点のことを考えるべきだ。犠牲になるものをきちんと認識して、その責めを負うべきだと思う。