netwindさんへの回答

これは、スペックが欲しければ、集団的意思決定プロセスに参加すべき。への回答です。(「もう少しゆっくり」のはずが、何で次にこれが来てるんでしょう(笑)私としては、なるべく指摘された所への直接的な答だけに限定したつもりですが、おそらくさらに問題が増えるような気がします。これに対する異論は、忙がなくていいですよ)

私は、47氏逮捕直後にこちらこちらで、明確に個人としての意思を表明しています。だから、まずは自分の意見を表明するという形では「社会を構成する一員としての集団的意思決定プロセスに参加」しているつもりです。

そして、これについて、自分の考えを深める必要を感じて、もっといろいろな観点からこの問題を見直してみようと思って、「バトルロワイヤル」と「チンチン」を書きました。両者はそれ自体でも完結した問題提起になり得ると思いますが、同時に、多様な立場からの議論を呼びこむ「釣り」を仕掛けたという意味もあります。それも、反応があった人同士の議論はあまり噛み合ってないので、「釣り」としてはやや不発に終わってしまいましたが、成功すれば「集団的意思決定プロセス」に貢献するものになったと自分では思っています。

私は、自分の特性として、きちんとした実証的な議論をするよりは、「中継点」とか「釣り」の方が向いていると自己評価しています。また、結論を出すよりは別の角度から新な論点を出す方が得意です。自分の限られた時間やエネルギーで「集団的意思決定プロセス」になるべく多く貢献するという意味で、コストパフォーマンスを考慮して、そういう方向に力点を置いています。

その前提として、「議論における寄り道は有用である」というふうに考えています。つまり、最終的な結論に一直線に到達する議論が最良ではなくて、さまざまな観点からひとつの問題をつつき回して、二転三転してようやく結論に至った議論の方が、意味があると私は思います。

宮台氏の言説からは「P2Pは祝祭的空間である」という仮説を思いつきました。「聖俗」という概念は社会学的には確立した概念のようですから、これは、P2P利用者の行動を観察することで、ある程度客観的に検証可能な仮説です。この仮説が検証されたら、お祭りや宗教的行事の禁止と比較することで、P2Pを禁止した時にどのようなことが起こるかについて、幾分かは予想することができると思います。

ただ、これが社会学的な観点から見て妥当な説なのかどうかは、判断つきません。本来は、自分で社会学を勉強して妥当性を自分で判断してから表明すべきかもしれませんが、それは、時間的、能力的に実質的には不可能です。ですから、ダメモトと思ってとりあえず書いておけば、(もし使えるものなら)誰が拾ってくれるだろうと思っています。ブログとはそういうものだと私は考えています。

「システム屋はうんぬん」というのは、一般的なシステム屋の思考、行動を解説しようと意図したものです。「システム屋というのはこういう風に考え、こういう風に行動します。つまり、仕様の是非についての価値判断はしないように教育されていて、仕様の整合性のみをチェックして、どんどんモノを作ってしまいますよ」と言うことです。それを戯画化して、自分で演じる形で書いたものです。単に事実を述べるよりは、こういう方が印象的で頭に入りやすいと私は考えています。

ただ、個人としての自分とプログラマとしての自分は分裂していて、整理がついてない所もあります。