社会科学の方法論は「モダンな科学的アプローチ」に集約されつつあるか

essaは蓋然主義か確実主義か?に対して、以下の応答がありました。

これらを読んで第一に感じたのは、netwindさんやめたかさんと私の隔たりは予想以上に大きいみたいだということです。netwindさんが「もう少しゆっくり進ませていただきたい」とおっしゃるのには全く同感で、少しスピードダウンしてじっくり考える必要があると思います。

それで、こういう時は性急に「どちらが正しいか」という議論をすると論点が広がって収集がつかなくなるので、「両者の立場はどこがどういうふうに違うのか」ということを整理する方がよいと私は考えます。

それで、私の方からnetwindさんとめたかさんの考え方はこうではないかという仮説をいくつか提示して、それに関して質問をします。もし、論点の整理に役に立ちそうだと思ったら時間のある時にお答え下さい。全く見当違いだったり答えるが難しかったり質問の意図がよくわからなかったりしたら、遠慮なくスルーして下さい。

Q1:人文系と社会科学の見取図

netwindさんと私とでは、人文系(思想、哲学、倫理学、文化論、歴史学等)と社会科学(経済学、法学、社会学等)の全体的なとらえ方に違いがあるのではないでしょうか。

私の見方はこうです。

  • 人文系と社会科学は対象領域の違いで区別される
  • 従って、明確に区分できるものではなく、重なる部分がたくさんある
  • 社会科学も対象領域ごとにそれぞれ別個の方法論がある
  • 「モダンな科学的アプローチ」は、たくさんある方法論のひとつ
  • 複数の方法論があって、さらに分化していく傾向にある

netwindさんは、こういう見方をされているように思えます。(めたかさんもほぼ同じ?)

  • 人文系と社会科学は対象領域も違うが、まず方法論の違いで区別できる
  • 方法論が明確に違うので重なる部分はほとんどない
  • 社会科学では、領域ごとに方法論の多少の違いはあるが「モダンな科学的アプローチ」を基盤とすることでは共通である
  • 社会科学の方法論は「モダンな科学的アプローチ」に集約されつつある

ここが食い違っているので、なかなか話が噛み合わないのではないでしょうか。

Q2:集団的意思決定プロセスに有用な知は?

ネット(特にP2P)に関わる集団的意思決定プロセスに関して、当然技術的な観点は重要です。ただし、これは社会と深く関わる事項なので、単純に技術的な問題とは言えません。よって、他の分野からの知を総合して問題解決にあたる必要があります。

ここまでは、三人とも同じだと思います、違うのは「他の分野からの知」として何を想定しているか?

私は、もともと人文系と社会科学がはっきり区別できるものとは思ってないので、両方の分野からの知を同等に流用して、解決にあたるべきだと考えています。

netwindさんとめたかさんは、このプロセスの結果が全体の厚生に関わるものだから、「モダンな科学的アプローチ」に基づく社会科学によって議論されるべきで、人文系の知見に基づく意見は集団的意思決定プロセスからは除外すべきだと考えているような気がします。(ここは、あまり自信がありません。違っていたらゴメンナサイ)

Q3:自然科学の方法論とはどのようなものか?

次に、共通点の方を確認しておきたいのですが、「自然科学」というものに対する理解については、私とお二人の間で違いがないと私は考えています。具体的には次のような点です。

  • 自然科学で一番重要なのは方法論である
  • 方法論とは、仮説→モデル化→実験(観測)→モデルと実験結果の照合→仮説の確認(修正)というサイクル
  • 三者に検証可能であることにこの方法論の価値がある
  • ニュートン力学が典型的な成功例でモデルケース

直接的には関係ないですが、私としては確認しておきたい所です。逆に、私の「自然科学」観にどこかおかしい所があったら指摘してほしいです。

Q4:「モダンな科学」における蓋然性の処理

これは、上の三つと異質でちょっと細かい話になりますが、三人の見解が一致しそうな気がするので、書いてみます。まずめたかさんの「科学」に対する誤解から引用します。

 とりあえず「所詮は蓋然的なもの」でかまわないから、
厳密な議論を組み立てるんですね。
で、その「内側」では「確実な議論」を積み重ねるんです。
でも、
そうやって積み上げた「確実な議論」だって、
その外では「蓋然的なモノにすぎない」って事は理解している。
だから、
「確実な議論」を積み上げれば、
きっと、どこかに齟齬が出てくる。
その時に、「確実主義の議論」では絶対に解決できない、
となった時に初めて
「蓋然的」という事を考慮し、
始めの「議論のモデル」を修正したり、
「新しいモデル」を作ったりして、
改めて「確実な議論」を行う。

これを、netwindさんの一連のコメントにそって、ちょっと展開してみます。

(公理→推論→結論)というカッコの中は、厳密であって検証可能です。しかし、こういう(公理→推論→結論)の組は一意に決まるものではなくて、ひとつの問題に対していくつも立てられるし、結論が互いに矛盾していることもあります。

それで、(公理→推論→結論)という系が複数あった時に、どうやって比較するかなんですが、「結論の適否、優劣が自明である所まで推論を進めて選択する」というのが、「モダンな科学」の方法論だと思います。


例えば、ニュートン力学相対性理論では太陽系の運動について違う結論を出します。どちらの結論が適切かというのは、当然のことながら、観測と一致したものです。だから、最終的な選択がどちらかになるかは自明です。

「モダンな科学」は、厳密な推論を連鎖したり、複数の理論(モデル)を連携させても、厳密さが維持されます(誤差が制御できます)。だから、結論が自明に比較できない場合は、それぞれの系でさらに推論を続けることで、いつかは自明な結論が出る地点にたどり着くと期待できます。

  • (公理→推論→結論)という系は複数存在し得る
  • 自明な比較が行なえる所まで結論を延長していくことができる
  • 厳密性は(公理→推論→結論)のカッコの中にしかない

というものが「モダンな科学」の方法論である、ということについて、三人の意見は一致していると考えてよろしいでしょうか?

まとめ

質問をまとめると次のようになります。

  • Q1:人文系と社会科学の見取図
    • 対象領域で分けるか方法論で分けるか
    • 社会科学の方法論は「モダンな科学的アプローチ」に集約されつつあるか
  • Q2:集団的意思決定プロセスに有用な知は?
  • Q3:自然科学の方法論とはどのようなものか?
  • Q4:「モダンな科学」における蓋然性の処理

netwindさんとめたかさんにお願いですが、もし、これが「互いの相異点を明らかにする」ことに役に立ちそうだと思われたら、一部でもいいので、お答えください。

それと、Q1については、ネットやシステムと独立した話ですから、実際にそういう学問にたずさわっている方からも意見をもらえたらうれしいです。