サポートの悩み。相手のITリテラシを測る良い方法?

具体的、日常的な悩みでありながら、何か非常に深い問題を含んでいる問題提起だと思います。

ポイントは、「相手のスキルがわかれば最適な回答ができて、お互いの手間と時間を大幅に節約できるけど、それが非礼なこととされているので聞けない」ということです。問題はその規範の背後にある「スキルの高低が人間としての価値にリンクしている」という社会通念ではないでしょうか。

複数の言語を使用する国で「○○語を理解するかどうか?」という質問をして、それによって違うサポートの窓口に案内することは、おそらく問題ないと思います。ITスキルがそのようなものの一種と見なされていれば、それを聞くこともそれで区別することも問題ありません。

つまり、偏差値のように一次元の座標軸によって測定して、上下関係をつけられるものか、多様性を認め、全員が同一の目標に邁進せず独自の個性を発揮することが容認されるものであるかです。

ここまで考えて、岩手県「がんばらない宣言」に「生き方否定」と反発(ネタ元は前頭葉は傷みかけだけど元記事削除?)というニュースとのつながりを感じました。がんばらない宣言 いわて。という岩手県のPRに反発する講演会があったという話です。もちろん、異議をとなえて自分の意見を言うことはいいんですが、反発する人の中に「がんばる」と「がんばらない」が共存しないという先入観があるような気がします。

「がんばる」派の人に「CYGWIN使えますか?」と聞いたら、「そのような質問は、普通のパソコンユーザとしての我々の生き方を否定するものだ」と怒られそうな気がします。

私から見たら、ITスキルなんてものは、千差万別の複雑な要素がからみあったもので、言語とかOSとかアルゴリズムとか深入りすればするほど、人生そのもの人間そのもののような多様性に満ちていて、簡単に測定したり上下関係に集約できるものには思えません。ITスキルの体現であるスーパーハッカーやスーパーSEもいろんなタイプがいます。人一倍「がんばる」人も人一倍「がんばらない」人もいるし、「がんばらない」ことに「がんばる」人もいるし、「がんばらない」ことにも「がんばらない」人もいます。

みんなが自分の持つ多様性を素直に開示できるようになれば、このサポートの問題だけでなくて、世の中のいろいろなシステムがもっと効率化するのではないかと私は考えます。

あと、このブログは、他にも興味深い記事がたくさんあって、個人の自己実現と組織の目的遂行を両方満たすような情報発信の好例だと思います。