負ける権利

負けないようにせかさないと、人は勝とうとしないものなのか。敗者を非難して居心地を悪くすることしか、人を競争にかきたてる道はないのか。

むしろ、負けても安心して生きていけるようにして、負ける権利を認めることが、本当の競争社会につながるはずだ。

「個性を伸ばす教育」や「オンリーワン」の欺瞞性はそこにある。個性がないと負け組ですか?凡庸なことは悪いことですか?

人を安心させると怠けると言う人は、勝ったことのない負け組だと思う。人は、生きて呼吸をしているだけで、世界に歓迎してもらう権利がある。それ以上のことを望む人は、神様よりえらいのか?

安心して負けることができてはじめて、安心して努力できるのであって、みんながそれをできるのが、本当の競争社会である。

安心して普通でいられてはじめて、安心して自分を探検できる。自分を探検しないで見つけた個性は、ニセモノの借りもののインチキだ。

個性と個性が火花を散らしてぶつかる、そういう社会を僕は望むけど、そこへむかう第一歩は負ける権利を認めることではないだろうか。