もうひとつの飛行機の話

miki*laboさんが、私の喩え話の京都府警側の観点から見たもうひとつの飛行機の話を作ってくれました。


やがて一人、また一人と席を立って機長に文句を言ったり、機外に出ようとし始めたので、機内は大混乱になりました。この状況で着陸するのは無理なので、仕方なく機長は旋回運動を行って、落ち着くまで待つことにしました。

これは確かに、今回の問題の別の側面をうまく表現していると思います。

私が問題にしているのは、こちらのストーリーに表現されている「不信」の構造です。この飛行機では、乗客が機長を信頼してない。だから、47番の男の煽動に多くの乗客が動かされてしまい、それによって自分たちの運命を危うくしてしまいます。

これは、私の話と対立するというより、足りない所を補完して私の問題意識をより明確にしてくれるストーリーに思えます。

ただ、そういう意味では、乗務員が47番の男を取りおさえても、乗客の騒ぎがおさまらず、それが元で飛行機が墜落してしまうという話の方が、私としてはもっといいような気もします。あるいは、乗客の安全の為に、機長や乗務員が乗客を暴力的におさえこむしかなかったという話。

私は、その「不信」が根深く広がっていると思っていて、それに危機感を感じています。技術の進歩の問題というより、こちらの問題の方が本質的かもしれません。

私は、Winnyを触ったことはないんですが、いくらよくできているといってもやっぱりネットワークソフトを素人が使うのは大変だと思う。本当に努力に見当ったものが得られるのか疑問です。ユーザは金を払いたくないのではなくて、「おまえらに金を払うのはイ・ヤ・ダ・」という意思表示をしたくて、努力をして勉強してマシンや回線に投資して、割に合わない「Winny使用という抗議活動」をしているのではないか。

「京都主義」じゃなくて「京都府警主義」では?という意見もありましたが、京都府警はローカルな人脈を通して、いろいろな地元のローカルなコミュニティとつながっていて、そのローカルなコミュニティはかなり多くの京都の人に支持されているのだと思います。

そういう密着がローコストでの治安の維持に役に立っている面もあるかもしれない。それは、日本のどこでも見られることですが、それを濃密に持っている場所の一つが京都なんだと思います。

それで、これは日本では伝統的に昔から続いていることですが、これは本当に日本の伝統なのか?と問いたい。昔の日本人は、ローカルなコミュニティに対して、こんなに一方的に不信を持っていたのだろうか?京都府警の人は、彼らの先輩が長年築いた地元との信頼関係を、正しく継続しているのだろうか?

その「信頼関係」は、自治会がお祭りに駐在さんを招いて接待するようなきれいな側面だけではなく、アンダーグラウンドの世界を治安維持に使う、彼らの価値観を一定レベルで尊重した上で、簡単には表に出せない協力関係を築くという側面もあったと思います。

地元の人はたぶん、それもよく知っていたでしょう。そういうプラスマイナス両面を含めて、昔の警察は信頼されていた。その伝統を正しく引きついでいるのか、それが疑問です。

以前、「世間」と「社会」の対立ということを書きましたが、「世間」の側に立つ人は「世間」を正しく継承しているのか、もっと大きい話にすれば、自民党吉田茂の後継者と言えるのか、吉田茂に対する不信と今の自民党に対する不信は同じものなのか、それが疑問なんです。

その問題意識があるので、あえて京都府警の方針を「京都主義」として、京都の人に「それが本当に京都の伝統なのでしょうか?」と聞いてみたいと思っています。

「京都主義」を絶対的に排除したいわけではなくて、それが信頼の回復につながるなら、私は敬意を持って「京都主義」を支持するかもしれない。

(追記)

Winny利用者の逮捕の時のPCエンジンおしゃれ計画の記事に触れて書いた、新しい快楽のフォーマットというのも、ちょっと関係あるかもしれません。その時に読んで目ウロコだった言葉ですが、


まさに新しい快楽のフォーマット形成が行われたことが産業から見て恐ろしいんだと思います。

しんさんの言ってることと通じていると思います。