悩む政治家と悩まない政治家

上の記事に書いた「20世紀の教訓」ということを考えながら、悩みの少なそうな小泉総理のことを考えた。彼のような解決策は20世紀的であって、よくて劇薬なんだろう。

それでは、どういう政治家が正しく誠実に「ドロドロ」を背負っているかと自問した時に、私の脳内に驚くべき人の名前が浮かんできた。

小泉総理が副作用の強い劇薬だったとしても、いくつかの明確な成果があると思う。そのひとつの明確な成果として排除された、あの人の名前が「ドロドロ」という言葉で浮かんできた。

それで気になってきたカキコ

http://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1083059272/126

 まあつまり
野中 vs 子鼠ってのは
○○ vs ○○系の代理戦争だった訳で。
構造改革ってのは○○利権を○○利権に代えただけ。
マスゴミは○○花盛りw
街を歩いてみ。
あっちにも○○系資本が、こっちにも○○資本が。
バックにはアメリカ=○ダヤ資本が付いてる。
福井もそうだね。
一時期、GSの顧問やってたし。
竹中の米人脈もユ○ヤ資本。
どっちが日本人に幸せだったのか果たしてどうだろw?
失業率や可処分所得の激減、
雇用環境の悪化を考えると○○利権の方が良かったね。

日本には二系統の利権があって、協力しつつも対立しあってきた。その関係が変化しつつあって、それが小泉VS野中として表面化しているという見方。これが正しいのかもしれない。我々はよくて劇薬を服用しているのだ。

ただその二系統の利権を、具体的なカテゴリにつなげる場合には、慎重であるべきだ。正しく真の敵を特定する言葉を使うべきで、原文の○○の所がそうなのかどうかは、私には具体的な証拠はない。

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