倫理+戦略=誠意

勝谷誠彦氏


新聞やテレビをご覧の皆さんは特派員たちからの一次情報が極めて少ないのにお気づきだろう。(中略)各メディアは撤収の時期と方法を真剣に検討しているに違いない。

と書いたのは、事件のことを知る前だ。4/5頃から勝谷氏の日記は緊迫感を増していて、本格的な戦場と化しつつあるイラクの様子がよくわかる。

イラクがこのような状況になっているなら、自衛隊は撤退すべきだったと思う。派遣の前提があからさまに崩れつつあるわけだし、軍隊としていろいろ制限を受けている彼らには、自分たちの身を守れない事態もあり得る状態になっている。だが、それは簡単なことではなくなってしまった。

自衛隊撤退を求める人たちの戦略性の無さは犯罪的だと思う。現地の状況をリサーチすることもせずに、自分たちがつかまったり殺されたりした時に何が起こるかの想像力もない。それは、つかまった3人以外にも共通するものに思えて、そこがすごく私には不誠実に思える。

戦略とは、自分の見たくない現実に直面して一生懸命いろいろ考えることで、それをきちんとやりとげることは人間の義務だと思う。倫理と戦略は、「逃げないこと」という点でつながっている。倫理と戦略を持って生きることは人間としての誠意だと私は思う。

人質となった三人は、自衛隊の撤退を妨害している。その戦略の無さを私は嫌悪する。それによって自衛隊員の人命を危険にさらした。その倫理の無さを私は憎悪する。

彼らがイラクの人の為にしようとしたことは立派だ。その目的と自分たちや自衛隊員の人命を比較して、そのリスクを計算してなおも強行する決断をしたのなら、私は彼らを尊敬する。そのような判断をしたのだが判断を間違えた結果であるなら、やはり尊敬する。少なくとも非難はしない。

だが、おそらく彼らは自分たちが見たくないものをあえて無視して、無防備なイラク入りをしたのだと思う。見たくないものはそこに存在しているのであって、存在しているものには一定の敬意をはらうべきだ。


サドル支持を叫んで銃を振り回している連中をみたまえ。まだ物事もよくわかっていない子供も含む若い連中が異常に多いことに気づくだろう。彼らの不満と不安は米軍の占領に対するだけではない。これからのイラクの権力や利権を英語が使える欧米帰りの同世代が押さえようとしていることに対する鬱積もあるのである。(勝谷氏の日記4/7)

同国人同士で憎みあいをはじめたイラクの人たちがそこに存在しているのであって、ズブズブに崩れた治安を想像しそれに戦略的に対処することは、そういう人たちへの敬意であると思う。反米意識の共有だけではとても連帯できないややこしい状況を、人質となった三人は見ることを拒否したのではないか。

それは不誠実で傲慢なことだと思う。