一般相方性理論

武富士の武居会長は無担保・無保証の団地金融から長者番付日本一になったわけですが、こういうビジネスモデルは世界にも例が無いそうです。つまり「日本人に金を貸すと担保がなくても返済する」ということを発見したのはこの人なんです。もし、この人が作家になってこの洞察を元に日本人論を書いていたら、歴史に残る名著になっていたと思います。

もちろん、企業を創業することも本を書くのと同様に偉いことです。天才的な洞察力のある創業者がそのビジョンから会社を起こし一兆円企業に育てあげたわけですから、ソニーやホンダと同じようなものだと思います。ただ、残念なことに、この両者と違って武居会長には自分の才能に見合うだけの相方がいなかったのでしょう。ソニーやホンダの創業者が反社会的なことを企てたとは思いませんが、大将の天才的能力が変な方に向かったら何か問題を起こしていたような気がします。いい番頭さんがいなかったらそうなっていたのではないか。


お笑いと創業には天才とそれに見合う相方が必要である (essa の 一般相方性理論)

「一般」がつくのはただのシャレです。タモリ松下幸之助さんのように相方がいなくても成功した例もありますから。でも、多くのケースでこれは重要な原理だと思います。

この事件で私は豊臣秀吉を連想しました。武居会長と秀吉はまぎれもなく天才ですが、その天才的能力が対人スキルというか、人間に対する洞察力として現れています。ハードや経済や軍事に向かわないで人間に向かっている。

秀吉も晩年は疑心暗鬼になって、よくわからない事件をたくさん起こしています。当時、秋葉原のような所がもしあったとしたら、絶対秀吉も盗聴マニアになっていたでしょう。対人スキルで出世した人なのですが、天下を取ってからそれを失ったというよりは、人間に対する天才的洞察力が暴走しはじめたと言うべきではないでしょうか。

「武井さんも盗聴なんかしなければ静かな余生が送れただろうに」と我々凡人は思ってしまいますが、彼が回りの人間の中に見ていたものは、ニュートンがリンゴの中に見たものと同じで、我々には理解できません。天才だからこそ我々には見えないものが見えて、彼にとっては盗聴することは必然であった、盗聴することのリスクより盗聴しないことのリスクの方がずっと高かったのでしょう。

天才的才能には必ずそういう尖った部分があると思います。そして、そういう尖った部分を包容できる別の才能というものもあって、これが無いとなかなか天才は機能しないのかもしれません。ところが、モノに向かう才能ならいいんですが、人に向かう才能は相方を追い出してしまうのでしょう。秀吉と武井さんの悲劇はそこにあるのではないでしょうか。

お笑いも一種の対人スキルなので、これと似たリスクをはらんでいる。そう考えると「漫才」という型に秘められた知恵には深いものがあります。企業経営もこれを見習うべきかもしれません。