「冷たい怒り」関連リンク

いじめという病い(1)より。


いじめられる側にいじめられる理由があっていじめが発生するのではなく、誰かを、とにかく誰かをいじめていなければ自分を保っていられない人間が存在するということなのです

英国流人類学のすすめより。


規律の力の厄介なところは、自分で勝手に規律を作ってそれを守ることによって、自分はいい模範的な人間であると勘違いできてしまうところなのです。

どちらも電網馬賊さん(10.17の雑記)経由です。確かに私が言っている「冷たい怒り」と非常に近いと思います。

「いじめ依存症」はある感情が解放されないので、問題行動を繰り返す依存症となると考えられます。その感情が「冷たい怒り」と私が呼んでいるものだと思います。ただ、いじめについては、いじめられる側はもちろんいじめる側も「冷たい怒り」の連鎖の下流のはじっこにあるものだと私は考えています。水源はもっと上流にあって、そこから少しづつ拡大して流れついた先が「いじめ依存症」だと。

フーコーが「規範の力」と呼ぶような、もっと一般的で簡単に見分けられないものが、上流にあるような気がしています。