「Google八分」について補足

梅田さんに紹介していただいて、いくつかコメントをいただいたので、まとめて回答します。

現在のページランク計算との整合性

dtさんのツッコミですが、確かに「八分」のペナルティの波及する方向は今のページランクの計算と逆向きですね。

ページランクの計算は「偉い人にリンクされたら偉い人」というルールを再帰的にあてはめていくものです。私は梅田さんという偉い人にリンクされた(ちょと嬉しい)ので偉い人(すぐ調子にのる)です。梅田さんがなぜ偉いかと言うと、他のたくさんの偉い人にリンクされているからです。なぜこれが有効かと言うと、偉い人には偉い人だけをリンクする動機があるからです。梅田さんがヘタな記事に言及すると、梅田さんのサイトの(Googleの外での)評判が下がります(しかし、ここなんかリンクして大丈夫だろうか?)。だから、梅田さんは自分の評判を守るために、良質の記事を選ぶと期待できます。これがページランクの信頼性の元になります。

ペナルティの計算を単純にこれに追加すると「悪い奴にリンクされたら悪い奴」になります。しかし、悪い奴が悪い奴にリンクする動機はありません。むしろ、悪い奴はいい人にリンクしてGoogleを混乱させる動機があると見るべきです。ですから、そっくり移行するとペナルティポイントの整合性は取れません。

一般的にページ作成者は、自分のページランクは上げたくて、ペナルティランクは下げたいと思います。ですから「悪い奴をリンクしてると悪い奴」という逆の法則の方が有効だと思います。経験的にも、アングラサイトにリンクしているのはアングラですが、逆は成り立ちません。

数学的に詳細に検討したわけではありませんが(したくてもできない(^^;;)、直観的には、これは現在のページランクの処理を逆転させるだけだと思います。対称性があるので同じロジックを使いまわせるような気がします。いずれにせよ、Googleの中の人ならこれくらいのことは楽勝でしょう。

Google八分はそれほど悲惨か?

k3cさんから二点指摘されました。ひとつめは


うーん…ネットに文章を残さない仕事をすればいいのではないかと思いますが。ネットから締めだし=「社会的に(ヘタをしたら物理的に)一人の人間を抹殺」というのは、ちょっと短絡すぎではないでしょうか。

現時点ではその通りです。

でも、ちょっと極論になりますが、お金だって縄文時代の人に「破産宣告を受けた」と言っても「それがどうした?」です。当時は、お金がなくても生きていけるインフラがそろっているからです。

これから社会的インフラのネット依存度は高くなると思います。例えば、amazon以外の本屋が長期的に残るかどうか疑問です。5年前に「Google八分」と言っても「それがどうした」と言う人がほとんどでしょうが、5年後に同じことを言ったら「それはヤバイんじゃないの」と思う人がずっと多くなってると思います。

八分破り

k3cさんの二つ目の指摘は、dxさんのツッコミと同じで、リンクする手段を工夫すれば、「八分」のページにリンクできるというものです。

確かに完璧な排除は無理かもしれません。でも、一般の人にはリンクできないし、そういう工夫をさせる手間を強要することだけでも、充分(以上)なペナルティになると思います。

偏向採点は競争力の障害になる

Atさんのツッコミですが、これは本質的な問題点をついていると思いました。偏向したページランクの採点はユーザが嫌うので、競合他社との競争に負けることになるという指摘です。

偏向採点が検索サービスの品質低下につながるのは確かだと思います。「八分」の導入でGoogleの品質が100%から95%に落ちたとしたら、95%以上の品質を提供できる会社には負けます。ですから、Googleはフリーハンドで「八分」を行なえるわけではありません。

しかし問題はその度合です。実際には他社がGoogleの90%の品質を確保することは難しいでしょう。Googleがギリギリの競争をしているのでなければ、いくらかはサービスレベルやブランドイメージを落として「八分」を実施する枠があると考えられます。

逆に言うと「八分」を禁止する手段は、法による強制以外にも手があると言うことです。市場競争が機能していれば、「八分」は不可能であるか可能だとしても「枠」が小さくなります。

ひとつの具体的な案としては、Googleのようなネットの中の独占企業には、自社のソフトのオープンソース化を強制するという手もあるかもしれません。そうしておけば、Googleが「八分」を導入した時に、競合他社がすぐに同等レベルの「八分」抜きのサービスを立ち上げることが可能です。ただ、GoogleAmazonのような企業の財産はソフトだけでなくデータベースもあります。オープンソース化も完璧ではないでしょう。

これは一般化して言うと「アーキテクチャは市場に制約を受ける」という指摘ではないかと思います。レッシグの言う「サイバー空間にはアーキテクチャの制約がない」が真実なのかはもっと検討が必要でしょう。私も、法を強化するのは最後の手段で、独占の弊害をオープンソースによって中和し市場と規範をエンパワーするアプローチの方がずっと望ましいと思います。