[?date=20031003#c02:title=Google八分と村八分の違い]

村八分で火事と葬式が適用除外になっているのは、まさにレッシグの言う「アーキテクチャ上の制約」ではないかと思います。

火事は放置すると他の家屋まで延焼してしまいます。葬式は微妙ですが、死体を処置しないと公衆衛生的な問題が発生するので、手伝わざるを得ないのではないかと思います。つまり、「村十分」という制裁はコミュニティ全体の負担が大きすぎるので、村八分という形態が採用されたのではないかと推測されます。

しかしたまたまこの制約があることで、昔の人は「完全なる社会的な排除は人道上問題があるのでは?」という問題をつきつめて考えることを回避できていたとも考えられます。したくてもできないので、ほどほどの所にするしかないわけです。

ネットではこのような「アーキテクチャ上の制約」は存在しませんので、「Google八分」は「Google十分」つまり、完全な排除として実施することも可能です。我々は八分にするか十分にするかという選択を意識的に行なわなくてはならないのです。 レッシグが「サイバー空間では『隠されたあいまいさ』があらわになる」と言っていることの、典型的な事例ではないかと思います。