相対主義者の絶対性

島宇宙化 先回りすることの問題から。


お互いに好きなことを信じようや、それがリベラルな態度だろ、というひとは、じつは、自分の真理に懐疑を抱いていないのです。ここには裏返しの客観が支配しています。

これにはすごく同感します。


真理は「存在」はしない。しかし、真理を共有しようという過程そのものによってしか、真理を解体することはできない。そういうことなのではないかとぼくは思っています。

ここも同意します。

ただ私は、相対主義と唯我独尊がデジタルな関係でなく、その中間にさまざまな位相があって、その色合いを感じることによって真理に近づくことができるように、主観と客観の中間を細かく見ることでしか知り得ない真理があると思います。

「物理的実在」とは誰にでも同じように認識できる事実を指すと思いますが、特定の人にしか共有できないリアリティに対して、未知の「物理的実在」に関連した現象=客観であるか単なる幻想=主観であるかどちらかの二者択一を迫るのは、得ることより失うものの方が大きいように思えます。

特に、人間の「意識」には、主観と客観という枠組みをはずさないと理解できないような秘密が隠れているような気がするのです。