渋谷へ行かないリスク

今の子供たちにとって、みんなと違う服を着たりみんなの持っているものを持たないことは、かなりリスクの高い行為だと思う。サラリーマンにとって、オトナ語を一切しゃべらないのと同じくらいのリスクがあるに違いない。だから、「渋谷に行こう」と誘われてそれをはっきり断わることも、当然、相当なリスクがあると思われる。大半の子供たちは、行くリスクと行かないリスクをちゃんと算定して最適な行為を選択しているのではないだろうか。

渋谷にあるものは食い物と洋服とエッチと金だけなんだろうが、その四点以外に面白いものを見つけられない大人が多い。その四点以外に行動の動機がない大人が多い。他にも面白いことがあるんだよと、口で言ってもだめで、大人がそれ以外の楽しみを見せつけていれば、自然と子供はマネをする。それができない大人が、出る所に出て責任を取るべきかもしれない。

プラス方向にドライブするものが食い物と洋服とエッチと金で、マイナス方向にドライブするものが「みんなと同じ」でなければいけないという制約で、しかも、その「みんな」は友達でなく誰だかよくわからない抽象的な「みんな」である。

大人も子供も、その二つの衝動に「引き回され」ている。確かにこれでは誰が「加害者か被害者かわからない」。