スラドJの敗因は「場」を作れてないこと

コテハン同士がぶつかってセッサタクマしたり評価しあっていくモデルは日本人には向いてない。残念ながら、それが証明されつつあるような気がする。

太平洋戦争とかQC運動とかアンポみたいに、「場」を作ってそこに名無しさんが群れて集まるモデルだと、とりあえずエネルギーは集められる。「ここはひどいインターネット」を強いられる「場」ですねに書いたように、2ちゃんねるはそういう古くからある日本人の特性を生かして成功したのだ。実は最も日本的なシステムなのだ。