大東亜スタンダードの押しつけ
創氏改名等の日本の一連の政策は「大東亜共栄圏におけるグローバルスタンダード」と考えるとわかりやすいと思う。
日本がこれからグローバル経済に組みこまれていくことを前提とすれば、グローバルスタンダードを採用することは必然であるし、国益になる。グローバル経済に組みこまれないで鎖国することは非現実的だから、他に選択肢はない。
しかし、竹中大臣を非難するのに「外資の手先」という言葉を使う人が多い。グローバル経済や金融の仕組みがわかって竹中大臣の政策の内容を理解して、この言葉を使う人はここでは除外する。この言葉に共鳴する人はほとんどが感情的にのっかっているのだと思う。
アメリカに「48時間以内にタケナカを金融担当大臣にせよ、さもなくば・・・」と言われて、彼が今の地位についたのではない。彼は、俺たちが選挙で選んだ内閣の一員である。彼の政策が間違っているなら、無能とかボンクラとか呼ぶべきで「外資の手先」はおかしい。でも、グローバルスタンダードを押しつけられていると感じる人がたくさんいて、その言葉に共鳴しているのだろう。
「姓」という概念は血縁絶対主義であって、「氏」は血縁を絶対視しない日本独自の「家」というコンセプトを代表している。産業が家業に依存する割合が高かった当時においては、よそから優秀な人材を招く余地のある「氏」の方が合理的なシステムだったと思う。実際に、江戸時代の商家は優秀な番頭を養子にして後をつがせることで、血縁に依存しない法人としての「家」を維持することが一般的に行なわれてきた。この「家」という概念が、戦後に共同体としての企業につながり高度成長をささえてきたのだ。
当時の日本人がどこまでそれを意識していたのかはわからないが、ある種の合理性があるから、かえって気軽に押しつけたのではないかと俺は想像する。だが、システムとして優れているからと言って強制的に導入していいものではない。竹中大臣に対する感情的な反発(政策の内容に立ち入らない反発)の強さを考えれば、武力を背景にした占領下でこれを押しつけられた人たちの気持ちが少しは理解できる。