T-REXとニュートンとミール

昔むかし、グラムロックというジャンルがあって、これは今の人にわかりやすく言うなら、ビジュアル系の元祖である。男が化粧してやや軽めと言うかキャッチーなロックを歌う。だが、ひとつだけ大きな違いがあって、グラムロックの連中は目のすわり加減はハンパなものではなかった。というのは、現在では想像できないほど男が化粧するというのは強烈な反逆行為だったからだ。そもそもロック自体が市民権を得ていない時代に、他のロッカーからも「なんじゃあいつらは」と言われるようなことをするのだ。地球を全部しょいこむような悲愴感がただよい触れれば切れるような緊張感があった。

かように、リアルタイムで経験しないと真価がわからない仕事が世の中にはある。ニュートンの仕事もそうだ。ニュートンT-REXと違い誰でも知ってるし教科書にも載っている。しかし、やはり奴の革命性も今の人には理解できないだろう。

万有引力の法則」の本当の意味はなんだと思う?重力加速度がどうのこうのとか、距離の自乗に比例がうんぬんとかじゃない。あれの本質は、月とリンゴが同じ法則でさばけると言うことだ。つまり、天上の事物と地上にあるものに共通の原理があることを発見した、というのが大事なことなんだ。それまでにも、科学は発展していたし、ケプラーなどは数学的にはニュートンと同じ方程式を発見していた。だが、それまでの科学は地上に存在する物体を扱うもので、空の上のことは管轄外だったのだ。だって、そこは神の領域だから。

リンゴが落っこったあの日に、この世界から「聖なる領域」が消滅した。男の化粧と同じで、慣れてしまうとなんでもないように思うが、これが実は大変な変革なのだ。ニュートン以前の科学者は、信仰と科学が矛盾していなかった。劣等生が徒競走で優勝したりメンコが強かったりすることでステータスを確保できた、言わばちびまる子ちゃん的な秩序と同じで、バッテイングしない複数の価値観、世界観を持つってのはいいことだ。今の人にはわかりにくいだろうが、なんてったって居心地がいい。

ポスト・ニュートン世代の俺たちは、神様なんて本当はいないことを知っている。天上の世界に神様はいない。いないどころか、ゴミ問題が深刻だ。来月の13日は、実はうちの奥さんの誕生日で、俺は毎年これを忘れないように気をつけなくちゃいけないのだが、今年はありがたいことに、ちょうどその日に空からミールが降ってくる。宇宙も俗な空間になったもんで、今日は燃えないゴミの日(ただしプラスチックは不可)だったと思うと、明日はミールが降ってくる日だったりして、両方がゴミ問題というカテゴリーでくくられてしまう。

聖なる領域って実はゴミ捨て場に近い機能を果たしていたりして、これを喪失することで、俺たちはやっぱり「捨て場」に困っちゃったりしてるのだ。つまり、仕切りのない一枚岩の世界で俺たちは、捨てたつもりのゴミが自分に返ってくることを意識しながら生きていかなくちゃならない。目を明けて見る方と目をつぶって見る方・・・、どっち側でも同じ困難をかかえているんだよ。