ゴーマニズム宣言

なぜかゴーマニズム宣言を8冊ほどもらって熟読しまったので、よしりん論をやろうと思う。

この人の一番の武器は、自分をよく知っていること。自分と麻原を比較した章があって「似てるけど全然違う」と言ってるみたいだが、「似てる」という部分をよく見ると、この人はいかに自分をほじくりかえしているかがわかる。凡人がこれをやると「似てる」という部分がおまけで「違う」という所にこだわってしまうが、よしりんが「違う」というのは一種のギャグと言うかサービス精神。

で、ここまで自分を掘り下げてあると論争はちっとも恐くないんだと思う。論敵の悪意に満ちた似顔絵をよく書くが、問題はその念のこもった絵で相手が何を言っているかである。その絵の中で論敵に言わせる一言が相手の本質を貫いている。あれをやられた相手はこたえると思う。

ゴーマニズム宣言はエンターテイメントとしても芸術としても政治評論、社会評論としても一流だ。いろんなものを限られたスペースの中に非常にうまく要約してあり、自分の独断や狂気もある種の武器としてうまく使っている。要するにこの人は全然ゴーマンじゃないのだ。

ただ気になるのは、その洞察力みたいなものが自分の読者に向いた時にちゃんと機能しているかどうか。最近のゴー宣は意識して若者を引っぱろうとしているように思えるが、この独断や狂気にまとわりついてくる若者は、彼が言うように本当に常識あるたくましい若者なのか。自分の頭でちゃんとモノを考えて小林を評価しているのか。

よしりんは知識人には騙されないで、非常に正確にその欺瞞を見ぬき、きっちりやっつけてくれる。よく読まないとわからないが、それを自分に対して同じようにやってるから偉いのだが、読者に対してそれをやってないのは、ちょっとまずいんでないかい。ああいう路線で行くなら、筒井康隆のように自分の読者でさえもちゃんと憎悪し軽蔑し罵倒しなければね。