「内国」への逃避
うちの奥さんは、およそ政治経済やビジネスには興味のない人で、俺が居間でサンデープロジェクトを見てると、勝手に「いいとも増刊号」にしちゃう人なんだが、何故か、日本の財政が壊滅的であることだけはよく理解していて、口ぐせのように「私たちん時は、年金なんて食いつくされてなくなってんだよね」などと言う。
「なんでそこだけ妙に詳しいんだ?」と聞いてみたら、「今は総理大臣の名前も知らない茶髪の若者だってそんなことはわかってる」そうだ。俺にはそういう自分が首相の名前を言えるかどうかが疑問なのだが、それはともかく、老人どもにいろんなものを搾取されつつあるのは間違いないらしい。
だから、財政破綻に備えて、搾取され得ないものに投資しておこうと思う。今の老人の強欲さは凄いもので、外貨預金だろうが投資信託だろうがたいていのものはなくなってしまうそうで、結局、残るのは自分の「頭」と「こころ」に対する投資。
規制を変えないと将来日本が空洞化するという点について言えば、実は、日本が規制を変えないのならば、日本人にとっての資本市場が日本の外側に出来てしまうという怖さが市場の本質だと思います。インターネットが出てきてから、グローバルなコミュニケーションの質が決定的に変化しました。日米のある種の部分でのリアルタイム性が強くなってきているということです。こういった状況下で、日本の市場や制度や組織が変わらないのならば、日本人が日本のシステムの外に出て行ってしまうだけなのです。現実に出て行くことは可能ですし、実際に多くの人々がシステムの外側に脱出しています。日本という国境の中にも、日本システムの外側が生まれているということが物事をより錯綜させてしまうように思います。 (JMM 2000/9/13号における吉田敦男氏の発言より)
まあ、外国へ逃げるのも当然ひとつの手段ではあるが、俺は内側へ、いわば「内国」へ逃げるという手段も合わせて検討している。