おまえに金を使わせようとする奴は大統領だって敵と思え

「おまえに金を使わせようとする奴は大統領だって敵と思え」

僕の父は無銭飲食の常習犯だった。いや、正確に言うと父はひとつの信念をかかえて生きていて、その信念にできるだけ忠実に生きていたと言うべきかもしれない。幸いなことに、その信念は間欠的に発動するものだった。しかし、それは金を払わないでものを食うことを許さないこの社会との妥協の産物ではなく、彼が、その信念を熟成しより効果的かつ長期的にそれを発動するためのひとつの戦略であったようにも見える。彼の信念が姿を現わす瞬間はいつも突発的で予測不可能だ。だが、私はいつでもすぐにそれを認識することができた。その瞬間、彼はただ静かに、僕に向かって「おい」とだけ言う。いつもは気の弱い平凡な人間である彼の目が、その時だけは深く自信をたたえているように見える。そして、僕はあわててハンバーガーの切れはしをできるだけ多くほおばり、父とともに静かに立ちあがりそっと店を出る。核戦争後の、人類が死にたえた世界に冷凍睡眠からただひとり目ざめた女のように、ウエイトレスが狂乱の叫び声をあげる。その叫び声が号砲であるかのように、僕たちは駆け出す。何人もの男たちが追いかけてくる。フライドポテトの残りを口に突っこみつつ、父は駆けながらも顔だけを僕に向けて言うのだ。

「いいか、金を使うな。金を使えば使うほど人間は汚れていく。おまえに金を使わせようとする奴は大統領だって敵と思え」

それは異教徒に包囲され全滅を覚悟した部族の最後の夜、大事な教えを守るためにひとりで落ちのびて行く若者への、長老からの最後の言葉のようだった。

「おまえに金を使わせようとする奴は大統領だって敵と思え」

しかし、僕はこの言葉に従わず、どちらかと言うと平凡に成長した。平凡ではあるが、人より若干うまく金を稼ぎ、若干多く金を使う人間になった。そのことに僕は何の痛みも後悔も感じていない。父の言葉を忘れてしまったり、ことさら否定して逆らったわけでもない。むしろ、その反対だ。父の言葉は、あまりにも純粋な真理であり、その言葉がこの世で生きる我々にとって何らかの指針となったり、毎日の生活に制限を与えるようなものではないと、僕には感じられた。父の言葉はアインシュタイン相対性理論のように純粋だった。

「おまえに金を使わせようとする奴は大統領だって敵と思え」

このコマーシャルがあんまり気にいったので、ヘタなノベライズを試みてみました。