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インターネットもこれだけメジャーになると、いろいろな人が顔を出してくる。ここでは超整理法のおじさんがずいぶん変なことを言っている。なかでも、「私は、タイトルとして相手の名前を「B様」というように書くことが多いのだが、それに対する返信が、Bさんから「RE:B様」と返ってくるのは、いかにも異様だ(というよりは、こちらの人格を無視された気持ちになる)」という所には笑ってしまった。言うまでもないが、サブジェクトには表題あるいは要約の機能があるので、本文の要点を記すのが常識だ。ネチケットがどうのこうの言うまえに、みんながこの人のまねをしたら、 B様のメーラには「Subject: B様」というメールばかりになってしまい何がなんだかわからなくなる。

ここは単なる笑い話だが、その後は結構本質的な勘違いをしている。この人は、ひょっとして関係あるかもという関係者にCc: を出すということに、なぜだか抵抗があるらしい。

メールを受け取る側からいえば、こうしたメールは、どうしても必要なものではない。というよりは、迷惑な場合が多い。「聞いていない」といえなくなるだけでない。後でゆっくり反論しようと思っていると、メールをやり取りした人達の間だけでコンセンサスが形成され、物事が決められてしまう。

これって、要するにメーリングリストのノリが嫌いだと言うことだ。おそらく、この人はMLなんてものにはまだ縁がないんだろうが、ある意味、まだ見ぬメーリングリストの特性を見ぬいているわけで、それはそれですごい直観力だと思う。だから、私はこういう人がいくら馬鹿なことを言っていると思っても、それで切り捨てたりしないのだ。

それで、何が本質的かと言うと、MLの発言と言うのは宛先が非常に漠然としている。もちろんその中の誰か個人でもないし、「ご来席のみなさま方」全員にあてているわけでもない。その中間あたりの所にあてて発言する。相手がそれに返答する場合も、文章は元の発言者宛になっていても、漠然とその他の目を意識している。このフワッとしたあいまいな関係性みたいなものが、MLの、そしてインターネットの本質である。

この人は頭のいい人で(皮肉ではない)自我の境界がくっきりとしている。自分あてのメッセージとそうでないものをデジタルに区分したいのだ。だから、それを許さないCc:的なノリにいらだつのだ。

民主党が「課税最低限の引下げ」ということを言いだしたが、不思議と自民党でこれを誉める人がいる。その理由が今日の読売新聞で解説してあったが、自民党では税制に関することでは、税制なんとか会というのが一番偉くて、ここの人が「聞いてないよお」と言うと、幹事長みたいな党のトップでも口が出せなくて困っているらしい。そこで、民主党の外圧を利用して、この「聞いてないよお」攻撃をかわそうという意図だそうだ。なんとも想像を絶する不思議な世界だ。

しかし、MLで意思決定が行われるようになると、こういう「聞いてないよお」おじさんも困ってしまうだろう。超整理法自民党の長老政治というのは、従来の常識では対極にあるものだが、 *オープンソース*というのは、そういう狭い地球の北極と南極を両方まとめてぶっとばしてしまうほどの破壊力を持っていると言うことだ。