河井、わしは大名じゃ

今日の「報道特集」で今回の選挙で引退する議員のインタビュー集をやっていた。ほとんどが死にかけたようなジジイだが、ひとりだけ50代くらいで政界が「嫌になって」やめるという人がいて、面白いことを言っていた。自分がやめると言った時の後援会の反発はすさまじいもので、「失敗した。引退すると言わないで落選してやめればよかった」と後悔したそうだが、自分のようにやめたいけどやめられない議員はたくさんいると言うのだ。

これを聞いて思い出したのが、「峠」の一場面である大名が河井継之助に「河井、わしは大名じゃ」というセリフ。この大名は幕府のエラい人で、エラいのに頭が切れるという珍しい人。そこで、河井継之助はこの人に幕府の危機を訴え、対策を提案して決断を促す。「わしは大名じゃ」というのはその必死の献策に対する答えだ。意訳すると「あなたの言うとおり幕府は今未曾有の危機にあり、非常の策が必要だと思います。だけど、私はしがらみの中で生き、しがらみの中でこそ存在価値のある人間です。そういう私には、あなたの提案は受けいれられません」

結局、150年たっても人間のやってることは全く同じなわけで、本質的に同一の現象であるならば、長い期間を経て多面的に検証されているレポートの方に存在意義がある。しかも、レポーターのレベルが最上のものを選べるわけで、歴史小説の面白さっていうのはそういうことだろう。つまり、ほとんどの日本人はしがらみの中で生きているのだが、大小のしがらみがこんがらがった結び目のまんなかにいる人が、昔は「大名」と呼ばれ今は「議員」と呼ばれているわけだ。どちらにも行動の自由はなくやめる自由さえ与えられていない。