オウムとどうつきあうか

ニュース23で「争論:オウムとどうつきあうか」という企画をやっていた。この題目の立てかたはいいと思ったが、肝心の論者がイマイチ。ひとりは、公共の福祉のためにはある程度信者の人権が制限されるのもやむなし、という主張で、この主張自体はいいのだが、「彼らを追いこんだことで、彼らの反省を引きだした。彼らは反省しかけてます」とはなんたる現状認識の甘さ。もうひとりは、どうもテレビ慣れ、討論慣れしてないようで、相手の勢いに押されて「戦争中の共産主義弾圧みたいで僕はいやだなあ」を繰り返すばかり。ただ「この異物は日本の中から産まれ、日本の中で育っていることを忘れてはいけない」というようなことを言っていて、もう少しゆっくり主張を聞きたかった。

私は、オウム信者に「麻原を否定しろ」と言うのはナンセンスだと思う。それができるくらいなら、連中はとっくにそうしている。それができない、あるいはしたら意味がなくなるのが信仰というものだ。別にオウムの教義に詳しいわけじゃないが「あの人は冥想はうまいけど、悪いことをしたから刑務所に入れられたのは当然です」と思いながら信仰と言うものがなりたつとしたら、その方がよほど変わった珍しい*宗教*だろう。

一方で「麻原を認める以上は犯罪集団だ」という主張も当然だと思う。断定はできないが破防法の適用もありだったのでは?くらいに思っている。しかし、そうなると両方合わせると「オウムは何やっても犯罪集団で取締りの対象」になってしまい、「信仰の自由」はどうなるのだという疑問が出てくる。この矛盾をどう解くのか、それを聞きたかったんだけだなあ。やはり、宗教の危険性の本質に対して基本的な認識がないのかなあ。