イロトリドリノセカイ

夜、家族でカラオケ。白状しますが、私は音楽についていろいろ能書きを言うわりには、めちゃくちゃ音痴です。それにもかかわらず、難しい歌を歌いたがる。さらに、好きな曲が女性ボーカルの曲が多くて、臆面もなくそれを歌います。

今日は、大貫妙子「美しい人よ」、Judy and Mary*「イロトリドリノセカイ」、*ユーミン*「海を見ていた午後」。どれも難しくてキーの高い歌で、これを音痴のオヤジが歌った日には、悲惨なことになる。子供たちは「ぎゃあ、毒だ。猛毒だ。死んだ」と騒ぐが、カラオケとは自己満足だと思っているので、容赦なく歌いまくりました。

それはどうでもよくて、今日気がついたことがある。どういうわけか、うちの奥さんと子供が二人とも18番が「カントリーロード」。しかし、妻はジョン・デンバーの本家バージョン、娘は宮崎駿*の「耳をすませば」のテーマソングのバージョン。これを2曲連続して聞いたところ、宮崎駿の訳詞の内容が本家と違っているのである。

本家は、田舎の自然の素晴らしさを歌い上げて、意気揚々と帰郷していく楽しい歌だが、宮崎バージョンは「帰りたい帰れないカントリーロード」とちょっと屈折している。ちょうど「耳をすませば」は、「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」と「もののけ姫」の中間に作られた作品だが、宮崎駿の自然やテクノロジーに対する見方が変化した時期にあたる。この訳詞には、その変化の過程が現れているようで、面白かった。