MSは「死に至る病」に感染しているか? -堺屋組織論による分析の試み-
堺屋太一の「組織の盛衰」という本には「組織の死に至る3つの病」という理論が出てきます。そして、最新刊の「時代末」でも再びこのテーマが取り上げられています。堺屋さんはこの理論で、戦国時代の豊臣家や太平洋戦争における日本軍の破滅に至る過程を詳しく分析しています。非常に明快な理論で、最近の銀行の破綻などを見ても、この理論がよくあてはまるような気がします。
この理論のポイントは、非常に大きな成功を収めた組織が陥りやすい罠を述べていることです。環境も仕組みも目的も随分違う組織が、全く同じようなパターンで破滅にいたっているというのです。その罠とは次の3つです。
- 組織の共同体化
- 環境への過剰適応
- 成功体験への埋没
ここでは、マイクロソフトをこの理論を元に論じてみたいと思います。言うまでもなく、マイクロソフトは「非常に大きな成功を収めた組織」で、今、大変な危機に面しています。インターネットとオープンソースの荒波をマイクロソフトは乗り切ることができるのか、という大問題に私なりの答えを出してみたいと思っています。
組織の共同体化
随分難しい題目ですが、これは「あいつらなんであんな馬鹿なことをしたんだろう」という謎に答えるものです。豊臣家の場合は朝鮮出兵、日本軍の場合はアメリカ相手に全面戦争をしかけたことです。どちらも、成功する見込みがない大変な愚行です。一般的には「ベンチがアホやから」理論、すなわち、指導者や幹部の無能力に原因をもとめがちです。しかし、堺屋さんは個人の能力や判断ミスの問題ではなく、組織というものが内在する力がそういう方向にひっぱったのだ、という見方をします。つまり、指導者が誰であっても情勢認識がちゃんとできていても、そういう馬鹿なことをする必然性があるというのです。
問題の行動に至る前に、この2つの組織はどの程度問題を把握していたのでしょうか?これが意外にどちらも勝ち目がないことがよくわかっていたというのです。豊臣家の場合は石田三成が朝鮮出兵には否定的だったし、日本軍の場合でも政治家や評論家はもとより軍の内部の結構エラい人で、戦争に反対していた人がいたみたいです。問題は、そういう正論を言う人が人気がなかったり、権力を失っていったことです。
軍人出身で昭和15年に総理になった米内光政という人は、戦後、その時海軍のトップにいたらどうしたか聞かれて「当然、そうしました(三国同盟=開戦に反対しました)。でも、(そうしたら)殺されていたでしょうね」と答えたそうです。石田三成も多くの武将からすっげえ嫌われました。
何が問題かというと、目が外を向いているか内を向いているかです。こういう場面では、冷静に自分と相手の戦力を分析して判断するというタイプは好まれません。撤退か破滅しかあり得ないとしても、撤退するということはそこまでの努力を水の泡にすることです。
本来、軍隊は勝つための組織ですから、情報収集や分析、戦略の立案という機能を持っています。そういうプランがあって初めて現場の努力が生きるのですから、こういう場面ではトップが強権を発動してストップをかけなければいけません。しかし、わかっててもそれがなかなかできないんですね。
こういうのを「組織の共同体化」といいます。組織が作られた根本の目的を忘れているのです。日本軍は日本を守るために作られたのですが、破滅が見えていても先輩方の努力を無駄にしないために、日本を破滅の道へひっぱりこんだ、しかも、相手の戦力をみくびっていたわけではなくて、絶対勝てないと思っていてそういうことをしたのです。バブルの崩壊後の銀行も大蔵省も、「こりゃヤバイ、どうにもならんぞ」とわかっていて、不良債権の処理を進めることができなかったのです。
これは「失楽園」の世界だと思います。つまり、二人の間の価値だけが絶対的なもので、他の人、外の世界の価値観は全く目に入らなくなっている。この心理状態では心中以外の結末は考えられません。日本軍も大蔵省も、組織内部が共同体化していて、共同体内部の価値観が絶対化していた、と思うと破滅への道をまっしぐらに走っていたことの説明がつくと思います。
さて、マイクロソフトはどうでしょうか?
マイクロソフトは情勢が見えなくなっているか?NO
ハロウイン文書という立派な証拠があります。これは、非常に冷静にLINUXを分析していて、私は「LINUXとは何か知りたいけどいい入門書ない?」と聞かれたらまっさきにこれをあげます。これをよく読むと「LINUXは凄い」という話をしている時に、いわゆる「フルエ」がないですね。あなたが自分の会社でライバルの製品を分析したとして、ここまでスパっと相手の長所を言えますか?
マイクロソフトは撤退すべき時に撤退しているか?YES
Windows95に「MSN」というアイコンがあったと思いますが覚えていますか?これを見ればわかるように、当時のマイクロソフトはインターネットが全く眼中になくて、パソコン通信をやろうとしていたのです。そして、3年後の98ではこのアイコンは消えてインターネットエクスプローラのアイコンになっています。3年間でMSNをポータルサイトに切り替えました。ものすごい方向転換です。
方向転換の過程ではずいぶん悪いことをしたようです。もちろんそのことはほめられたことではないけど、凡庸な経営者ならば、パソコン通信のシェアを取るために悪いことをします。あれだけ力込めて、「パソコン通信やるぞお」とぶちあげたものを何の成果もなくひっこめられるでしょうか?泣いたプログラマーがいっぱいいるに違いありません。せっかく作ったシステムがまともに動かないうちに、「うちはインターネットやることにしたから、あれは全部捨ててブラウザ作ってよ」ここに、自分の会社の製品を入れて見てください。このセリフ自分の部下に言えますか?
マイクロソフトは中央の戦略立案が機能しているか?YES
OFFICE2000はファイル形式がXML、HTMLベースになっています。インターネットに全力をかけるという方向にちゃんと従がっています。マイクロソフトはいろんな製品を出していますが、OFFICEというのが実は稼ぎ頭だそうです。それに比べたら、インターネットは前途多難で苦戦しています。あなたの会社で、これまでメインで一番利益を出している部門と、研究がらみでなかなか黒にならない新設の部門を思い浮かべてください。あなたが、前者の部門にいたとします。そして、後者の部署の若い奴が「これからうちの会社は全社的にこれで行きますから、おたくもよろしく」とか言ってきたらどうしますか?OFFICE2000がHTMLベースになるっていうのはそういうことです。
成功体験への埋没
日本軍の第2の敗因は「成功体験への埋没」です。堺屋さんが日本軍の成功体験としてあげているのは、日露戦争です。これは世界史的に見ても、白人と非白人の戦争で初めて非白人が勝った戦争ですから、大変な成功であるのは間違いありません。日本軍はこの時の成功体験に酔いしれて、艦隊決戦と白兵戦という当時の戦争の仕方から抜けきれなかったといいます。ところが、日露戦争から太平洋戦争までに武器や戦争の方法は全然変わってしまっていたのですが、人間というものは「自分の成功の要因となった環境は変わって欲しくないと思う」習性があるようで、なかなか方針転換ができなかったようです。
具体的には、海軍では航空機が戦争の主役になっていたのに、戦艦を大事にして航空母艦を無駄遣いしてしまったのです。初期の段階では、戦力比が3対4まで接近していた時期もあったので、この時期に戦艦を前線に配置すれば勝機はあったという話です。ところが実際に日本海軍がとった作戦は全く逆で、戦艦を温存して航空母艦や航空機を無駄遣いしてしまったのです。また、潜水艦という新型の武器の使い方もヘタクソで同盟国のドイツ軍からもボロクソに言われたそうです。潜水艦を戦艦の補助という位置づけで使っていて、最も効率的な敵の補給ラインの分断んという作戦ととらなかったので、ドイツと比較すると10分の1の戦果しかあげられなかったといいます。
こういうことは、日露戦争で日本海海戦で大勝利をあげた「成功体験への埋没」なんだそうです。この時の戦い方を技術や環境が全く変わった太平洋戦争に適用しようとして、ただでさえとぼしい戦力を必要以上に無駄に消耗してしまったということです。
この話を聞いて思い出したのは、NTのカーネルの設計者であるカトラーのことです。ビル・ゲイツはDECからこの人を引き抜いて、新しいOSの設計をまかせたのです。これは大変な英断で、カトラーはそれまでマイクロソフトが持っていた文化と正反対の開発方法を持ち込みました。相当なあつれきがあったようですが、今から見れば大正解です。今、NTが信頼性がないとか使えないとか評判悪いですが、カーネル自体の設計をけなす人はそう多くありません。というより、98しかなかったらどう考えてもマイクロソフトはサーバ市場に進出できなかったと思います。
この「カトラー起用」という決断は、もっと評価されるべきだと思います。というのは、時期的に見てマイクロソフトはこの頃ある意味では絶頂期でした。今は、技術がなくてマーケッティングや政治力でごり押しする会社と見られ勝ちですが、Windows3.0の前後は、技術的に見ても一定の評価はあったと思います。確かに人のマネをする傾向はあって、技術者には人気無かったけど、品質は今よりずっと確かで、パソコンというものを知り尽くした会社だったと思います。
コンピュータはいくら歴史が浅いと言っても、それなりに歴史や理論もあります。パソコンの技術というのは、そういうコンピュータの歴史を全部否定して始まっている所があります。例えば、OSの中を平気でアプリケーションがいじくる。そんなことをすれば、ちょっとしたプログラムのミスでマシンがまるごと落ちます。こういう乱暴なことがいっぱいあります。しかし、何十人、何百人で共有する大型コンピュータと違って、パソコンはマシンが落ちてもちょっと手を伸ばして、リセットボタンを押せばいいのです。こういういろいろなことの優先順位が違うので、最適な設計も随分違います。
Windows95/98のアーキテクチャが「汚い」とよく言われますが、これはマイクロソフト(というかパソコン文化)の伝統で、汚くても見苦しくてもとにかく動けばいい、理論や机上の検討はいらない、というやり方がもっとも有効だったのです。とにかく動かしてダメならちょっと直して動かす、またダメならまたちょっといじって、というやり方で、私のように、メインフレーム系の文化で最初に教育を受けた者は、絶対にこういうやり方をしちゃいけない、と言われたやり方が、パソコンでは正統なのです。
ハードの容量や能力が不十分だから、そういうふうにしないと動かないという側面もありますが、マシンがユーザの目の前にあって、一人で占有して使うマシンでは、そういう試行錯誤をすることも簡単だし、そういうやり方が最適だと思います。
これがある規模を超えると通用しなくなってくる、今のWindows98はあきらかにそういう泥縄式開発が破綻をきたしているので、ここだけみると「成功体験への埋没」ですが、ビル・ゲイツがカトラーを起用した頃は、ある意味で、マイクロソフトの方法(理論と組織の否定)がもっとも機能していた時期です。
技術的に見ても、あの時代のハードである程度互換性を維持しながら、マルチタスク(もどき)とGUIを走らせたというのは、たいした成果です。ドキュメントと理論のないパソコンの世界で、この規模のプログラムを動かしたということは、それなりに独自の開発手法やノウハウを持っていたわけです。特に、この時期はそういうシステムが最もうまく機能していた時期です。
カトラーは、こういう(技術的な面で)成功の絶頂の時期に起用されて、全く逆の文化(信頼性第一の秩序だった開発)を持ち込んだわけです。例えば、ハンガリアン記法という変なコーディングルールがあるのですが、当時マイクロソフトの社内標準だったこのプログラミングルールをカトラーは全く使わないで、問題を起こしたといいます。
結果的に見れば、パソコンの容量や性能が高くなりソフトの規模が管理なしでは歯が立たなくなるちょうど端境期にあたっていたのです。今から見れば、Windows95の信頼性が低いことは常識で、カトラーの方針(とそれを起用したビル・ゲイツの判断)も当然のことと言えますが、それは典型的な結果論です。当時は、パソコンのOSにそんな大袈裟な仕組みがいるかと誰もが思っていたし、その職人芸的なやりかたが機能していたのです。
このように、成功の絶頂で摩擦を恐れず全く別の文化を大胆に導入する、という実績を見ると、マイクロソフトは「成功体験への埋没」という病からも最も遠い組織であるように思えます。
環境への過剰適応
さて、ここまでの2つの項目では、マイクロソフトは「死に至る病」の兆候は全く見られないといいましたが、この項目はちょっと違います。
マイクロソフトにとっての「環境」とは何でしょうか?多くのライバル?ハードウエア?ユーザ?ソフトウエア会社にとっての環境とは複雑な要素がいろいろからみあっていて定義が難しいですが、私は最も重要な環境は「市場の特性」ではないかと思います。
ソフトやコンピュータの世界は、経済学的に見ると独特の特性を持っているのです。これを「収穫逓増」とか「ロックイン」とか「正のフィードバック」等と言うようですが、要は「勝った者が全てを取る」ということです。Windows95が一番いい例ですが、ソフトの世界では市場の中でシェアを取り始めると、ある段階から全てが強者に有利に働きます。ソフトハウスは、流行らないOS向けに作っても売れないし将来性がないから、Windows向けに作りソフトが充実する、パソコンベンダーは流行らないOS向けに作ってもいいソフトがないからWindows向けの製品をラインアップするので、価格競争でコストパフォーマンスが良くなる、ユーザは流行らないOSを使ってもいいソフトがないし、ハードも限定されるから結局Windowsを選択する、こういう循環がはじまると全てをWindowsが取るまでは終わりません。
どんな市場でも独占企業は、価格やユーザを支配できるので、ルールを自分のいいように変えることができて有利なことは確かですが、ソフトはこういう傾向が最も強いのです。特に、規模が大きくなることによるマイナス要因が全くないのが独特で、トップ企業には非常に有利に働く構造があるのです。
この仕組みを発見したのは、IBMです。IBMは元々はパンチカードという事務機のメーカーで、コンピュータの世界では全くの新参者でした。しかし、技術志向の他社と比較して、マーケッティング主導の会社であり、そこから画期的な戦略を編み出したのです。それは、小型機から大型機まで全ての製品ラインでソフトの互換性を持たせる、という戦略です。こうすることで、まず自社のユーザが他社に流れないようにしました。その上で、戦略的な価格設定をして、どんどんシェアを広げたいったのです。そうすると、ソフトも周辺機器もIBM製品向けのものが多くなり、加速度的にIBMブランドの価値が上がっていったのです。
今、考えるとマイクロソフトの戦略はIBMと同じです。そして、パソコンという単位が小さいコンピュータである分、シェアを取り始めた時の加速度が大きいという特性を利用して、より意識的、より確実にIBMの戦略を実施してきた結果、今の地位を得たのです。
戦略のポイントは、とにかくまずシェアを取り味方を増やすという作戦です。WindowsはOS/2と比較して、技術情報がオープンでした。多くのAPIが公開されていて、詳細な資料の入ったCD−ROMが数万円で入手できました。だから、Windows用のソフトは簡単に開発できたのです。そして、腕自慢のプログラマが、Windowsの弱点を補うプログラムを次々開発していったのです。
そして、次に競争者の無い所で利益を取って、競争者のある所に戦略的な価格設定をする、「戦略的な価格設定」というとかっこいいですが、実際はダンピングです。一番いい例が、ブラウザをタダでばらまいたことで、IEの開発ではものすごくコストをかけたのに、そのコストはIEでなく他の製品の売り上げで稼いだのです。
さらに、シェアを取るために何でもやる、というのが決めてです。今出回っているニュースを信じるならば、脅し、脅迫、噂のねつ造、嘘の製品発表、何でもあります。こういうルール違反は許されないことですが、道徳的な非難に埋もれて見失い勝ちな点がひとつあります。いったい、マイクロソフトは何のために、何を目標として、次から次へとこういうことを仕掛けるのか?それは、「シェア」のためです。
金をいくらでもつぎこんで、評判を落としても、マスコミやユーザに嫌われても、それでも「シェア」を取りたいのです。利益や売り上げでなく「シェア」です。つまり「正のフィードバック」がかかるまで我慢すれば、後から全てが取り戻せると考えているわけです。
私は、このように「シェア」に執着する性質、それこそが「環境への過剰適応」だと思います。これが「環境への適応」でなく「過剰適応」になるのは、環境が変わっているからです。つまり、「勝者が全てを取る」という環境が今、大きく変わっていると思うのです。
このあたりは、まだ私には理論的に説明できないのですが、インターネットの登場によって、パソコンとソフトの市場の特性が全く変わってしまったのではないかと思います。勝者が全てをとるようなバイアスがきかなくなって、むしろ、多様性を許容するというか、要求するように市場が変わっているのではないか、ということです。
LINUXのブームに隠れがちですが、LINUXの台頭と同じくして、BeOSやMACなどWindows以外のOSが軒並み注目を集めています。これまでの常識で言えば、Windowsが他のものに移るとしても、その非Windows市場でももうひとりの「勝者」全てをとるはずです。ところが、他のOSも目に見える動きはないですが、どれも活発です。何か違う流れができているように思えます。もしそうだとすると、これはIBM以来30年以上続いていた市場の構造が根本的に変わるということで、ソフトウエア産業、コンピュータ産業の誕生以来の大事件になると思います。
だから、私の結論としては、マイクロソフトがこの「ロックインモデルへの執着」をやめるかどうかが、生き残るかどうかのポイントだということです。そしたら、ちょうどこれを書いている途中で目にしたニュースですが、「Linux版Officeの開発が進行中」の噂というニュースが飛び込んできました。まだ、噂のレベルを出ないので真偽のほどはわかりませんが、もしこれが本当ならば、今までの全方位作戦、シェア至上主義をあきらめて、得意分野に集中するという意味で、マイクロソフト画期的な戦略転換につながることかもしれません。